こんばんは 「ようよう坂町」
二男のマンションから南へ約2㎞
安川緑道公園を歩いていくと、広
島市安佐南区祇園出張所にたど
以前川であったことが庁舎前橋跡
という標識でわかります。
出張所には、祇園町商工会があり
ます。その前にあるのが、今では
中四国一の会社となったスーパー
イズミの祇園店です。今ではゆめ
タウン祇園店となっています。
私が昭和45年に大学を卒業し、初
めて入社した会社の開発部で手が
けた初めての大型ショッピングセン
ターでした。昭和48年に開店しました。
49年11月に会社を辞め、それ以降
行ったことがありませんでしたが、
今回久しぶりに訪れました。
会社にとっては、初めての郊外型
ショッピングセンターということで、
計画にとりかかる前には、アメリカに
視察に行ったりし、郊外型のショッピ
ングセンターの研究をしました。
A棟とB棟のビルを建て、A棟はショッ
ピングビル、B棟はその当時流行って
いたボウリング場。それをつなぐ所は
人工地盤を作り、大規模な噴水で
魅力づくりをしようというものでした。
バブル前の第一次石油ショック前の
計画でしたから、かなり派手な計画
でした。
建築をはじめ、ボウリング場や噴水
の工事を進めていましたが、急遽前
社長(現在会長)の鶴の一声で、建設
を中断し、計画を変更しました。
A棟のショッピングビルはそのまま
本来ならA棟とB棟はつなぐ予定で
したが、間に都市計画道があり、
恒久的な建物は建てられないとの
ことでしたが、35年たっても道路は
そのままの状態でした。行政の
計画のいい加減さを感じました。
40レーンのボウリング場は、だだっ
広い食料品スーパーに、間の人工
地盤は建物を建て、専門店街にとの
変更でした。当時はそこまで工事を
していたのに、何でそうかと思ってい
ましたが、後で思えば、ボウリング場
のその後の衰退振りを見ると、正に
の判断が正しかったことを思い知ら
その当時は画期的で本格的な郊外
型ショッピングセンターも、35年を
経過。かなり古くなっていますし、
先日は広島市内に大規模な旗艦店
を開店。また近くの工場跡地には
大規模なイオンのショッピングセンター
も建設中です。
閉鎖も噂されています。会社30年周
期説がありますが、時代の流れで
祇園町商工会作の案内板があり
ました。
ウォーキング日本一の町を目指して
いる坂町にとっては、坂駅前にこん
な看板が欲しいで。
坂町商工会で何とか実現して欲しい
安川緑道をのんびり歩き、30数年
前にタイムスリップしたような気分
でした。