こんばんは 「ようよう坂町」
20年前の1月7日朝、昭和天皇が
崩御されたのを受け、政府(竹下
首相)はその日の午後、「元号に
関する懇談会」とま衆参両院
正副議長に3つの候補を示し
意見を聴きました。
その際、「平成」は最初に書かれて
おり、また、他の「修文(しゅうぶん)」、
「正化(せいか)」の2候補はローマ
字表記の頭文字が「昭和」と同じ
「S」になり初めから選び得ない
ものでした。そして臨時閣議に
於いて新元号を正式に決定し、
小渕内閣官房長官が記者会見で
「新しい元号は、平成であります」
と発表されました。
この平成の元号は、元号法が
制定された際に陽明学者安岡
正篤が考案したといわれ、史記
五帝本紀の「内平外成(内平かに
外成る)」、『書経』大禹謨の
「地平天成(地平かに天成る)」
からで「内外、天地とも平和が
達成される」という意味とのこと。
1月8日(日)から平成の時代に。
今年20年の節目の年です。
昭和天皇が崩御されたのは
ちょうど土曜日の朝でした。
正月明けの日曜日は、年末に
100店で行う歳末セールの
抽選会の日でした。小学校の
体育館へ数百人が集まる
その当時結構大きなイベント
のひとつでした。
日曜日のことですから、土曜日の
午前緊急役員会を開き、一週間
延期に決定。その周知をどうするかと
いうことになり、延期案内チラシを
新聞折込することに。早速印刷屋に
延期チラシ印刷を頼み、午後新聞
販売店を持ってまわり、日曜日の
新聞折込みに間に合ったのを覚えて
また1月8日は地区のとんど用の
餅つきの日でした。既にもち米を
1月6日の夜から水にかしていたので、
やめるというわけにいかず、これは
ゴーということに。でも歌舞音曲も
自粛の中、ぎやかにペッタンコは
できまいと、全部餅つき機で静かに
ついたのを覚えています。
昭和天皇が入院されたその前の
秋から中止されたイベントなども
多くあったようです。止めるのは
簡単ですが、そんな状況でいかに
実施していくかは万が一ことを
考えながら大変でしたが、時代が
変わるということがどんなことか
いい勉強なりました。こんな経験は
めったできないことですから。
これも時代変化対応能力、危機
対応能力を試されていたのかも
しれません。止める引くは簡単、
でも続けていくことは、障害や困難を
叡智や工夫でもって乗り越えることと。
あれから20年たったのですね。
感慨深いものがあります。