焼き肉パワー持続中で、本日はブログまで掲載できました~。
こちらは、日曜日さくらぴあ大ホールにて『津和野街道写真展』の様子です。写真集もマップも結構たくさんの方に興味深くみていただけたようでーす。
こちらは、お待たせいたしました『津和野街道写真集』より廿日市市御船屋敷から廿日市の起点の写真です。
スキャナーで取り込み紹介する予定でしたが、スキャナーでの取り込みは時間がかかるので、このたびは見えにくいとは思いますが、写真集の写真でゴメンナサイ・・・
l 御船屋敷 (津和野街道ブランド化事業報告書より引用)
御船屋敷は石州和紙の交易や参勤交代の拠点として大変重要な施設で、関船、小早船、荷船など併せて23隻が係留されていたと言われる。
l 砂原大橋
津和野街道の起点には諸説あるが、芸藩通志の地図や古い宮内公民館の地図、及び土地の古老の話などから「砂原大橋」を起点とした。
こちらが、津和野街道『汐見坂』と言われ佐伯地域の峠のあたりから瀬戸内海が見える最後の位置です。
今年初日の出を見に行った場所が『汐見坂』で、新年のブログで紹介した所でーす。
lここ明石峠に向かう道は汐見坂と呼ばれている。名前の由来は後方に見える瀬戸内海の景色からと思われる。
この場所は折敷畑の合戦など古戦場としての歴史が残る。現在では歩ける古道は少ない、唯一残る旧道沿いには一里塚跡の石碑がある。
l 峠(宮内村峠村境界)と旧道
明石峠には宮内村と峠村の村境の石碑が建てられている。この峠を越えると栗栖までは平坦な道で旅人はほっとした瞬間であったように思える。
峠を越えると、はるか前方に羅漢山が見える。羅漢山は標高1109m、街道は羅漢山の北西標高960mを通過している。
こちらの写真は、フォトコンテスト入選作品『十王堂』です。
l 津田宿駅、十王堂(山代街道別れ)
津田宿は津和野街道の宿駅で伝馬十頭が置かれ宿場として賑わっていた。当時の津田の呼び名は十王堂とも呼ばれていたようである。
十王信仰は中国から伝わり鎌倉時代に広まった信仰で、閻魔王を代表とした秦廣王・初江王・栄帝王・五官王・変成王・秦山王・平等王・都市王・王道転輪王の十人の王達、道を裁く意味からか宿場の結界、厄除けとして信仰をあつめ多くの宿場にある。
また津田十王堂は長州藩萩へ通じる「やましろ道(山代街道)」への別れ道(起点)でもある。
(こちらは写真集の写真ではありませ~ん。)
『十王堂』は、佐伯商工会のすぐ裏手のありますよー。
十王堂近くには病院、商店街があり、佐伯地域の福祉バスが佐伯商工会前の『十王堂』バス停まで運行されてます。
次回は、津田宿から大原宿までの写真を紹介をしますので、お楽しみにね~。