それは江戸時代の麻生藩のお話
江戸時代の麻生藩を救った焼き公魚
漁師のお正月として、わが家では、
必ず1回は焼き公魚のお雑煮を食べるの
麻生藩のお殿様・・・・新庄氏
新庄氏は、元々近江国(滋賀県)を拠点とした武将。
慶長五年(千六百年)、関ヶ原の戦いでは西軍に与し、
戦後処理にて改易となり、新庄父子の身柄は蒲生秀行
の預かりとなった。 慶長九年(一六〇四年)家康に召
されて駿府に入り、赦免を受け、江戸の徳川秀忠に拝謁
して、常陸国行方郡・河内郡・新治郡・真壁郡・那珂郡、
下野国芳賀郡・都賀郡・河内郡の八郡において、三万三
百石を与えられ、後に行方郡麻生に立藩した
故郷である近江の国の琵琶湖によく似ている霞ケ浦の
景色にきっと安堵感も覚えたことでしょう
行方市麻生の羽生均さんのお宅に伝わる書状
通し14代将軍徳川家茂に焼きわかさぎを献上した
時の老中からの礼状です
うふっ歴史あるわかちゃん
わかさぎを公魚と書くのは行方市が発祥の地
羽生均さんのおばあさんは、わかさぎの形が
崩れると、献上できないぞ
といつも、言っていたらしいです
関が原の戦で西軍に参加したため領地を没収された
が1604年に許され、常陸・下野国内に三万三百国
を与えられました。
麻生を拠点としたのは、琵琶湖を思い出させる
霞ヶ浦があったからだろう。
五代藩主が亡くなり子供がいなかったことから
1676年一時断絶するが、同年中に、一族の
新庄直時が一万石に取り立てられ再興した。
そして、明治維新まで、この地を守りぬいた新庄氏
その時 庶民が謡った川柳が・・・・
『わかさぎの味方
石をつづけせり』
将軍家献上魚 公魚(わかさぎ)は、麻生藩
三代藩主新庄直好が大老酒井忠勝を通し、
三代将軍徳川家光に焼きわかさぎを献上し
たことに始まります
わかさぎを公魚と書くのは、公方様が召し
上がる魚の意味でこの麻生藩の献上が由来
焼きわかさぎが救った江戸時代の麻生藩
江戸時代の行方の献上魚 公魚
ぴっちぴち うめえぞ
わかさぎを公魚と書くのは行方市が発祥の地
わかさぎを公魚と書くのは、江戸時代、常陸の国
麻生藩が、徳川3代将軍徳川家光の頃から霞ヶ浦
産のわかさぎを献上していたことから、公儀ご用魚
の意味で当てられたものである
麻生藩家老屋敷記念館ココ
エリザベス
麻生陣屋は現在の市立麻生小学校の場所にあり、
記念館は家老職を務めた畑家の屋敷です
香ばしい焼きわかさぎは、お酒のおつまみや、
白いご飯で食べるとおいし~い
お正月のお雑煮にもお肉の代わりに入れるとすごい
おだしが出るのよ漁師の味
ほ~ら焼き公魚のお雑煮
行方市の郷土料理だぜ
もうっあららうんまい
焼きわかさぎの出汁が うんまいね