小高城
おだか城
行方四頭の長男
今日は、たぶん13世紀前後に建城された、行方市小高の
小高城の城跡に行きました
2代前の小高小の敷地にある行方市自慢の巨木
小高のかや
ココ
が集合場所よ
幹周り約六m、樹齢六五〇年の堂々とした美しい常緑の
大木は県指定の天然記念物。
小高地区に深く根を下ろし歴史をみつめながらそびえ立つ
あっ
うう~ん
頑張るw
中世この地を支配したのは、常陸大椽の一族
霞ヶ浦と北浦に挟まれた行方地方は、最後には佐竹氏に
滅ぼされてしまうが小領主達の城館が多くあった
こっからだぁ
島崎城、麻生城、玉造城同様、常陸大掾系の行方平四郎景幹
から分かれた行方4城の1つ行方城の長男為幹が、行方城から
移って築いたという
そして最後は島崎氏、玉造氏同様、佐竹氏に滅ぼされている。
その後、佐竹一門の北義憲が城主となったが、佐竹氏の秋田
移封によって廃城となった
城跡が、そのままの形で残っているべ
3町歩ぐれいあっぺひろいど
城は南西方向から北東に延びた尾根上の台地にあり、長軸500m
幅250mの範囲を有し、結構広い
北東側の先端に近い部分に主郭部を置き、台地先端部は水田の
中に突き出た状態になっている
ああっ
こんなけもの道・・・・
行方四頭の嫡男の屋敷だがら、ひろいだよ
うふふふ
はぁ
はぁ
小高氏の系図は、桓武天皇に始まる。その子の葛原親王は、
天長7年、常陸の国の大守に任じられ、その孫、平高望は、
寛平元年、上総介として東国に来た
高望は、任期が終わっても関東に住み着き、その子、国香
は常陸大掾となり、常南に勢力を張った
なめがたのはじまり~
国香から6代後の常陸大掾清幹の次男忠幹(長男影幹
は早死)が、現在の行方市行方に城を築いて行方郡を領
した
その子、宗幹は、源平の戦いに、源義経の軍に属して
戦ったが、元暦元年1184年屋島の戦にて討ち死
宗幹には、4人の子がいた
長男 棟幹は小高城主(小高太郎)
次男 高幹は島崎城主(島崎次郎)
(現在の潮来市牛堀地区)
三男 家幹は羽黒城主(麻生三郎)
(現在の行方市麻生地区の羽黒山公園)
四男 吉幹は玉造城主(玉造四郎)
父の論功により、行方郡下の地頭に任ぜられ
行方四頭と称し、約400年に渡り行方郡下に
勢力を張ったんだ
長男 棟幹(為幹)は小高に城を築いて
行方城より移る
本丸・二の丸の広大な面積に内堀、
外堀を設け、その三方に濕地帯を
廻して要害堅固な城だったっぺ
エリザベス
藪にしか 見えねぇべ
おっがねぇ~こわいよ
浪漫がいっぱい
わくわくしちゃう

小高太郎の夢の跡