小高太郎の夢の跡☆ 行方四頭の長男☆小高太郎の平山城は、3町歩もある敷地面積♪ | エリザベスのブログ

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おとめ座小高城!!おだか城!!行方四頭の長男星


今日は、たぶん13世紀前後に建城された、行方市小高の

小高城の城跡に行きました!!



行方市商工会-odaka-kaya_2

2代前の小高小の敷地にある行方市自慢の巨木霧霧


おとめ座小高のかや →ココ
集合場所よ!!


幹周り約六m、樹齢六五〇年の堂々とした美しい常緑の

大木は県指定の天然記念物。

小高地区に深く根を下ろし歴史をみつめながらそびえ立つ!!


行方市商工会-DSC01793


歌丸師匠
こごから、1キロくらい歩けば、着くべラブラブ



おとめ座あっあせるうう~ん叫びあせる頑張るw


行方市商工会-DSC01794

歌丸師匠こごらも、城の一部だったっぺ音譜

中世この地を支配したのは、常陸大椽の一族星


霞ヶ浦と北浦に挟まれた行方地方は、最後には佐竹氏に

滅ぼされてしまうが小領主達の城館が多くあった!!


行方市商工会-DSC01797

おとめ座途中には、エシャレット畑がありますラブラブおいしいのラブラブ


行方市商工会-DSC01798

歌丸師匠こっからだぁビックリマーク


島崎城、麻生城、玉造城同様、常陸大掾系の行方平四郎景幹

から分かれた行方4城の1つ行方城の長男為幹が、行方城から

移って築いたという!!
 そして最後は島崎氏、玉造氏同様、佐竹氏に滅ぼされている。

その後、佐竹一門の北義憲が城主となったが、佐竹氏の秋田

移封によって廃城となった!!



行方市商工会-kodaka1

歌丸師匠城跡が、そのままの形で残っているべ!!

3町歩ぐれいあっぺ!!ひろいど


城は南西方向から北東に延びた尾根上の台地にあり、長軸500m

幅250mの範囲を有し、結構広い!!

北東側の先端に近い部分に主郭部を置き、台地先端部は水田の

中に突き出た状態になっている!!


おとめ座ああっあせるこんなけもの道・・・・叫びあせる



行方市商工会-DSC01801
 
歌丸師匠
こごらは、空堀だよ!!

行方四頭の嫡男の屋敷だがら、ひろいだよ!!




歌丸師匠ドキドキ歌丸師匠ドキドキうふふふ  おとめ座あせるはぁあせるはぁ叫びあせる



小高氏の系図は、桓武天皇に始まる。その子の葛原親王は、

天長7年、常陸の国の大守に任じられ、その孫、平高望は、

寛平元年、上総介として東国に来た!!

高望は、任期が終わっても関東に住み着き、その子、
国香

は常陸大掾となり、常南に勢力を張った!!


歌丸師匠なめがたのはじまり~

国香から6代後の常陸大掾清幹の次男忠幹(長男影幹

は早死)が、現在の行方市行方に城を築いて行方郡を領

した!!

その子、宗幹は、源平の戦いに、源義経の軍に属して

戦ったが、元暦元年1184年屋島の戦にて討ち死汗


武士宗幹には、4人の子がいた!!


侍長男 棟幹小高城主(小高太郎)


侍次男 高幹島崎城主(島崎次郎)

(現在の潮来市牛堀地区)



侍三男 家幹羽黒城主(麻生三郎)

     (現在の行方市麻生地区の羽黒山公園)



侍四男 吉幹玉造城主(玉造四郎)



歌丸師匠父の論功により、行方郡下の地頭に任ぜられ

行方四頭と称し、約400年に渡り行方郡下に

勢力を張ったんだ!!


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歌丸師匠長男 棟幹(為幹)は小高に城を築いて

行方城より移る!!

本丸・二の丸の広大な面積に内堀、

外堀を設け、その三方に濕地帯を

廻して要害堅固な城だったっぺ!!


おとめ座エリザベスあせる藪にしか 見えねぇべ叫びあせる

おっがねぇ~こわいよ!!


行方市商工会-DSC01803


おとめ座浪漫がいっぱいラブラブわくわくしちゃうドキドキ

行方のはじまりは、とても素敵ねドキドキ

小高太郎の夢の跡