イケメン局長
チャールズ
新選組茨城玉造隊の旗もち
うぎゃあ行方市商工会は、芸人揃い
行方市商工会のチャールズ局長
全国の新選組が集結
緊張します
ふれあいランドで開催
ココ
コスプレパレード
先人たちの想いを現代に伝える行方新選組の
イベントは、晴天のもと、開催されました
幕末を震撼させた新選組の筆頭局長の故郷
新選組水戸派の中心は、行方にあった
流山隊と市谷柳町試衛館の殺陣パフォーマンスは、必見早業の連続です
新選組市谷柳町試衛館隊
堂々と
迫真の殺陣パフォーマンスの滝野川隊
行方市観光物産館こいこいココ
前で
こいこいの久美ちゃんも新選組の半纏
誠のはんてん勢いづいて大好きです
イエーイ
大好き 新選組
行方新選組と狂歌の集い
狂歌とは
ココ
万葉集や古今和歌集などの古典を題材に世情等を詠み変えた五七五七七の和歌様式の歌ですその後、独自に社会風刺やエスプリ・ユーモアの作風となり江戸時代後期に隆盛を極めた文学です
狂歌と行方地方
上方で盛んに詠われた狂歌は、江戸に伝播され、天明記(1781~88)には、急速に周辺に広まりました
常陸地方で拠点となったのは、麻生(行方市)と江戸崎(稲敷市)でした
麻生で活躍したのは、外様藩新庄麻生1万石の藩士の手賀弥太郎です
またの名を狂歌堂真顔派の国字垣歌志久
(かながき かしく)とも呼ばれました
麻生藩の藩政改革でも、人口政策などに
関わった有能な人物でした
文化文政期(1804~29)は、江戸では滑稽本がブームとなり、式亭三馬などが活躍していました
十辺舎一九も その代表的な人物であり、「方言修行金草鞋」では、潮来・行方地方の旅を題材に狂歌を詠みこんだ作品として発表しています麻生藩の歌志久を中心とした国字垣連と十辺舎一九との交流の足取りが見え隠れします
東海道だけじゃない
十返舎一九(明和2年1765年-1831年)
江戸時代後期の大衆作家
弥次さん・喜多さんで有名な「東海道中膝栗毛」の作者として知られています。
並行して出した『方言修行 金草鞋』(むだしゅぎょうかねのわらじ)も、広く読まれた。『諸国道中金草鞋24編』の第5編と第10編の一部で、千久良坊と鼻毛延高の両人が再び、登場して、利根川の船下りを楽しみながら、三社(香取神宮、鹿島神宮、息栖神宮)参詣の後、潮来、行方へ立ち寄り、水戸、日光へと旅を続けました
十返舎一九の常陸道中記
あくる日、潮来をたちいでて、それより
水戸街道をさしてゆくほどに、玉造と
いふところにいたる
十返舎一九狂歌で行方を詠む
『このあたり、すべて鯰、鯉、鮒たくさんなり』
なまず
こい
ふな
『福屋』という暖簾がかかる店先で、男が鯉らしい魚をさばいている玉造の絵
かつて霞ケ浦水運の河岸があった浜地区のあたりを描いたものと言われている
行方にも来ていた十返舎一九
「狂歌の小径」の除幕式
石碑がふたつ
芹澤鴨の狂歌が石碑に刻まれました
「雪霜に 色よく花の 魁けて 散りても後に 匂う梅が香」
鴨が天狗党で活躍していたときに、水戸牢に投獄されたおり読んだともいわれる和歌です
大崎美代さんの狂歌
「筑波山つくばって あの高さ 立てば富士より高くなるかも」
常陸国風土記に詠まれた「福慈の神」と「筑波の神」の説話を現代風に筑波山を讃えている
綾瀬新選組隊の行進です
東京足立区綾瀬のまちづくり実行委員会は、
10月31日(土)
綾瀬村誕生120周年と新選組のイベント
を開催します
慶応4年(1868年)新選組は、綾瀬の
五兵衛新田に19日間駐屯したうぅ~
近藤 勇、土方歳三は綾瀬で何を考えたか
行方市立、麻生中学校剣道部ですあれっ
ちびっこ剣士は、恥かしそう
うふっ
行方市内の剣友会、玉造中学校剣道部も参加し、行方は新選組一色です
水の科学館ココ
の踊り場では、麻生中学校剣道部と玉造中学校剣道部が、凛々しく武道の披露です
行方の未来を担う若武者です
文化を軸に活性化
行方新選組でまちおこし