化蘇沼稲荷神社の夏祭

(けぞぬまいなり)









「奉納相撲」が すごい
日本男児 ここにあり
この日のために、一生懸命、練習しました
はっけよい のこった
奉納相撲
大人は 迫力がすごい凛々しい
昔から相撲に親しんでいる地域の人々
相撲の礼儀や作法も大切なことです
化蘇沼稲荷神社
文明十年(1478年)大掾氏が武田の守護神
として創建
武田9ヶ郷の鎮守として崇敬されている。
例大祭には五穀豊穣を祈願して奉納相撲
又同時に神殿では巫女舞の神事がある
この神社のお祭は毎年8月25日
一の鳥居の横には茨城百景の石碑が
所在地:行方市内宿1571-1
いよいよ拝殿
1478年に豪族の大掾氏が創建しましたが、火災で消失しました。その後1534年に再建しました
御本殿 格式と由緒あるお社です
化蘇沼(けそぬま)ですシーン
ミステリーの世界
神社の裏150m程の所にある湿地、行方の丘陵地にあったため貴重な水資源
であったでしょう
水源があることで、稲作が出来、その恵みを稲荷社に託したのでしょう
奥宮です シーン
静けさが漂う厳粛な場所
水利に乏しい土地柄にある化蘇沼という水源を神格した神社と思われます
相撲
この地域は、江戸時代、水戸藩の分家・守山藩の支配地だった
北浦は、東北諸藩や水戸藩の穀物などの輸送の重要地点
これが、豪商や神社のにぎわいを生んだ背景だろう
同神社は一四七八(文明十)年、当時の領主大掾氏が創建、一五三四(天文三)年に武田氏が再建した。その際、奉納相撲で五穀豊穣(ほうじょう)を祈願したとされる。
一七八八(天明八)年に、火事で焼失。
その後、「帆津倉」の豪商・河野涼谷が村人の協力で再建しました
河野は醸造家。「亀甲正」の商標をつけた醤油は大消費地江戸に船で運ばれ大繁盛
一方で江戸から多くの参詣者が帆津倉に上陸し神社に向かったという。
河野は俳人でもあり、交流のあった・・・・
小林一茶が同地を訪れている
また境内には、松尾芭蕉と河野涼谷の作を並べた句碑も建立されている
「武田三宿」今に伝える・・
伝統の奉納相撲ココ
なんと常設の相撲小屋が
すごい
例大祭の奉納相撲は、同地区の相撲熱を高めた。北浦町史によると、帆津倉村出身の河野三五郎は江戸相撲の力士となって活躍 「鹿島灘」のしこ名で前頭六枚目まで進み、第五代秀ノ山親方となっているのです
近年では、一九九四(平成六)年から三年間、大相撲の佐渡ケ嶽部屋の力士が同神社を訪れ、相撲を奉納した
現在土俵周りにある屋根付きの立派な四本柱は、その時に作られました
一時、相撲参加者は減ったが、約20年前に子供相撲を始めてから、盛り返したという。小学生から大人まで出場する今年も、特設の「さじき席」から往時と同じ歓声が境内に響き渡りました
住民のつながりで、今日まで伝承されて
夏を彩るこの祭で、深まる交流
エリザベス
がんばれ~
一番、一番が、すごい歓声
国技館もいいけど地元もいいや