帆引き船について教えて
行方市立麻生小学校の生徒さんが、商工会にやってきた
帆引き船の模型を使って、教えています
帆引き船の歴史
かすみがうら市の折本良平氏がシラウオ漁を目的に、帆引き船を発明したのは明治13年、良平46歳の時であった。
当時はシラウオ漁には大徳網が使われていた。この漁は普通2~3隻の船を使い、20人以上の人手が必要であった。
帆引き船の発明を己の利益のみに固執することなく、自ら多くの漁師たちにその操業技術を伝えた。
その結果、霞ヶ浦の漁業は網元を中心とした組織的な操業から、家族を中心とした個人操業へと変化し、日雇い的な賃金ではなく漁獲に見合った収入の道を開き、沿岸漁民の生活安定に大きな貢献をした。
生徒さんも目をキラキラ輝かせて、真剣に
聞いています
帆引き船は風任せ
風がなくては、運航できない
雨や大風でも、出帆は無理です
夏場は夜、風があれば、暗くなると同時に沖に出たわけ。風がなければそのまま家にいたわけ。
風があると漁に出た
まさしく 命がけの漁なんですね
旧霞ヶ浦町田伏出身で、国民的歌手坂本九の実祖父が明治35年、家族とともに秋田県山本郡浜口村芦崎(現八竜町芦崎)に移住して、帆引き船を秋田に伝えました。
国民的歌手坂本九の実祖父
明治35年~40年頃、帆引き船を伝える。
金吉は地元の伊東倉吉らとともにエビの加工、販売などにも力を入れ、秋田、山形をはじめ、東京や茨城の問屋とも取引きをしていた。
帆引き船は霞ヶ浦が世界に誇る文化遺産
夏から秋にかけて、霞ヶ浦では観光帆引き船が運行されます。
随伴船に乗り、帆引き船の漁の様子を間近で見ることができます。帆引き船が風をうけて帆を広げるさまは圧巻
白魚漁の船として当時は画期的な船
夏こそ 観光帆引き船
観光帆引き船2009
☆霞ケ浦を舞台に、様々なドラマがココ
体験してみて