エリザベスだよん
水郷なめがたは水辺の里です
水郷地帯のこめどころ
昔は田植え時期に、笠をかぶり新しいかすり
に、たすき掛けの農婦が並び、それはそれは
見事な風景でした 笠はもちろん
江戸時代から北浦に伝わる伝統傘
『繁 昌 笠』です
は ん じ ょ う が さ
茨城県郷土工芸品指定(平成10年)
江戸時代から作られた日よけや悪事災難を
避け身を守る笠
当時、水田の先にはアシやまこもが茂り
そのまま霞ケ浦の湖面へ続いていました
想像するだけで映像が・・・・・
まこもは水郷地帯なめがたの原風景
「マコモ」は、イネ科の多年草で、沼や川に群生する
ヨシやガマと同じ抽水植物です。
近年は河川改修や生活環境の変化で、身近に
あったその姿を見る機会もぐんと減ってしまいましたが
稲作が伝来する弥生時代までは、その実(ワイルド
ライス)は人々の食糧とされていました。
目を閉じると その美しい光景が浮か
びますきっと女っぷりあがったでしょう
さてさて・・・・・これはなんでしょう
帆引き船 ええー
だって
小さい
観光帆引き船を守り、支えている
船大工 野原一男さんです
野原さんの家のすぐ下にある蒲縄港
湖底に沈んでいたあさざが浮き上がって
きています 夏が近い~
夏になるとあさざの島ができます
野原さんの作った帆引き船が7月の運行を
待っています
この船があの華やかな観光帆引き船に
霞ケ浦の湖上の花
行方市麻生の船大工
野原一男さん
12歳からこの道ひとすじ63年・・・・・
師匠の父は『見て覚えろ』『一回は教えるけど
二度と教えない』『忘れると思えば書いとけ』
と目で盗んで体にしみこませ精進しました。
22歳くらいで、いっぱしの棟梁になりました。
船大工の仕事は終戦から昭和30年代がピーク
野原さんの船は30年ももちます。
40年代からモーター動力船が出てきました。
木造の船は姿を消したのです。今は、FRP・プレジャー
ボートが主流です。その後、観光帆引き船の運航が
始まると、
帆引き船の模型を作ってみようと思いました
帆引き船の模型と野原さん・・・・・
船の材料は下総杉、釘一本も使わないで
糊付け 、竹は弓の矢にする竹、帆はさらし
主に冬場に作ります
帆引き船を今も修理し、常に子供のよう
に大切にしています
エリザベス
昭和と平成の荒波を乗り越えて、霞ケ浦
を守り慈しんできた船の匠
私たちも安心して観光帆引き船に乗るこ
とができます
本当にありがとうございます