大学について悩んだ一年
『ねェ、ねェ、きょうちょっと用事があるんだ・・・・・・だから、次の講義、代返しておいてくれない?』
『OK。いいわよ』
高校と違って、いっぺんに二○○○人ほどの学生が受講している大学の講義。その中で、このような会話を耳にするのは、日常茶飯事。
『そんなことをしては、いけないわ』などという、メガネの学級委員長もいないので、ほとんどの学生が、いわゆる“サボタージュ”を経験している。しかし、この文化女子大学では、このような行為を容易に実行することができなかったのです。
講義が始まり少しすると、助手の教授が座っている人数分だけの出席カードを配るのだから、一枚でも余分に与えられることは、まずないといっていいほど。
試験を受けられる学生の条件として、出席率が全体の三分の二以上でなければならないのです。私は、これで何度悩まされたことか。
情けない話なのですが、出席が足りないというだけで、一年の時、なんと一八単位も落とされてしまったのです。
試験前には、必ず研究室へ呼び出されていた私。教授の中には、とても理解ある方もいらっしゃって、
『そうか、仕事をしながらでは、大変だね。じゃあ、再履修せずに、レポートで単位をあげよう』
と優しい言葉をかけてくれる教授がいるかと思いきや、
『君は学生の本質がなっていない』と、冷たく、吐き出すようにおっしゃる教授もいたり、単位獲得のために、ずいぶん苦労をしたものでした。
一時、大学へ行くということは、どんな意味があるのだろう・・・・・・なんて、むずかしいことを考えた時もありました。
友だちの中には、『ただ、なんとなくみんなが行くから私も』というような考えの人が多くて、そういう私だって、具体的な目的はなかったのです。大学という言葉の憧れからというか、自由なイメージを持つ、大学生活を味わってみたかったというような。でも実際は、思っていたほどの自由さはなく、それもそのはず、学校なのだから、やることだけはキチッとやらなければ、いつまでたっても卒業させてはもらえないのです。
結局、大学とはやる気のある人間のみが行く所なのではないかと結論を出してみたのでした。私は、やる気だけはあったつもりです。課題でも、他の人より劣る作品は作りたくないと、仕事をしているせいには、したくなかったのです。自分としては、精いっぱいの学生生活を送っていたつもりなのです。でも、結果を見れば、欠席が多いので、学生の本質がなっていないといわれてしまう。やる気はなくても、ただ毎日、漠然と学校へ来て、出席を取っている人は、良しとされてしまうのだから、この矛盾に憤りを感じたこともありました。
ある教授から、『あなたは学校と仕事と、どちらが大切なのですか』と聞かれた時、私は答えられなかったのでした。どちらも私の生活だし、両方を同じ次元で比較することなど、私には不可能なことだったから。
黙っている私に、教授はさらに問い詰めるのです。
『学校のほうが大切だとは思わないのですか。プライベートで買ってなことをするのはいいけれど、あなたは学生なんですからね』
この時ほど、悔し涙があふれた時は、ありませんでした。なぜそんなことをいわなければいけないのだろうかーーー。義務教育ではない、私の学生生活なのにーーー。私のことを心配して、そういっているのなら、放っておいて欲しいと思ったのでした。そして、これほどまでいわれて、単位を習得することはないのではないか。いっそのこと、退学してしまおうかとも、考えたのですが、それではあまりに自分が弱すぎると思ったのです。自分から逃避していることになると思ったのです。
大学とは、個人の意思が尊重される場だと思うのです。勉強しなければ、一人ででもどんどん勉強すればいいし、サボリたいなら、ずーっとサボッているのもいいだろうし。私は、だれかのために大学へ行っているのではない。時分自身のために行くのだ、そう思い、たとえ二年間で卒業できなくとも、自分で納得するまで学校にいるゾと。なかば意地になって、学校へ通っていたのでした。
オマケ
ハガキの通知はまだですが、結果が出ました。
全項目バッチリ範囲内でした。




