初めてのリサイタル
忘れもしない昭和五五年四月二四日。
はじめてのリサイタルを、名古屋の雲竜ホールで開いた日。
まだデビューしてから、一年たらず。
“こっちには親戚もいないし、お客さんが一人もこなかったらどうしよう・・・・・・”と真剣に悩んだのでした。
当日、大阪から名古屋入りをした私は、不安の中でリハーサルを終えて、楽屋でスタッフと綿密な打ち合わせをしていました。と、そこへ、名古屋の大スター、つぼイノリオさんが“こんにちは!”と顔を出されたのです。このリサイタルのために、スペシャルゲストとして、お呼びしていたのでした。口をきくのも憂鬱なほど、緊張していた私は、つぼイさんの“ニヤッ”とした顔で、少しは心も軽くなったものの、やはり開演前の一ベルが入ったころには、指先は冷たくなり、頭を小槌でガンガン叩かれているような思いだったのです。
『ガンバってネ!!』そういって、肩をポンと叩いてくださった神部さん。“ヨシ!当たって砕けろだ!”と、強気でステージに上がる足は、小刻みに震えていたのです。
本ベルが鳴り終わり、恐怖の波が私を襲う。一曲目は、デビュー曲の『キャンパススケッチ』。
あなたが打ち込む テニスボールが
白い矢のように コートを走る
いわれた通りに 低めに構え
私はラケット ふり返す・・・・・・![]()
何も考えていない。ただ、無我夢中に歌う。二曲目、三曲目・・・・・・。そのころからやっと、会場が見えだした。
“お客さんがいる! いっぱいいる!! 後方の扉付近には、なんと、立ってる人もいるゾ”
途中でつぼイさんが出て来て、ステージを盛り上げてくださる。
やがて、ラストの曲『シオン』が終わると、“アンコール!アンコール!”という手拍子や声援が。初めて聞く“アンコール”。身体でその言葉を感じた私は、嬉しさのあまり、背筋が“ブルッ”と震えたのです。『きょうは本当に、どうもありがとうございました』とお礼を述べる私に、嵐のような拍手。本当に、どうもありがとう。
いつもはとても厳しい神部さんが、ステージから降りてきた私に、はじめて『良かったヨ』と、誉めてくださったのです。すべての人に、感謝したい気持ちでした。本当に嬉しかった。リサイタルに来てくれた人たちと、心のつながりを持てたようで。
次の日は、東京で。場所は、日仏会館。
えらく驚いたことには、同じ日仏会館で、追加公演のできるという話。信じられなかったけれど、本当にたくさんの人たちが、暖かい声援を送ってくれたのです。なんと、イルカさんも応援に駆けつけてくださり、一緒に『ラバーボール』を歌ったりして、私にとって、どこで行ったステージよりも思い出深い、ステキなリサイタルとなったのでした。
この時のバンド編成は、トリプルキーボードという、キーボード三台だけの、他ではみられないめずらしい編成だったのです。そして、その一台は、今は亡き、木田高介さんが弾いていたのでした。
オマケ
呉ポートピアパークで開催されてる
SUBARUフェアに遊びに行って来ました。
今季のレースでクラス4位になった実車です。
レース中の接触事故の傷も生ナマしいです。
TVコマーシャルでお馴染みのアイサイトも体験しました。
『試乗もどうぞ』
と勧められたので、LEVORG1.6GT-Sで
一般道を走って来ましたが、
SUBARU独特のボクサーサウンドは
車内にこもる事もなく、静かでした。