悲惨だった初めてのDJ
私の声が初めて公共の電波を通してラジオから流れたのは、デビューする一ヶ月ほど前のこと。FM愛知の『夜はともだち』という番組でした。パーソナリティーである江口晶さんのおしゃべりに対し、私は“ハイ”としか答えられなかったように思います。マイクを前にしてしゃべるということは、こんなにも自分を、不自然びしてしまうものなのかと、驚異に思ったものでした。
そんな私に、この番組の中で、毎週、私のコーナーを設けてくださるという信じられぬ話を聞かされた時は、期待より当然、不安のほうが大きかったのはいうまでもありません。“ハイ・・・・・・”しかいえないような私に、いったいぜんたいそんな大役が務まるのであろうか・・・・・・と。
何もわからぬまま始まった『聖子のニューミュージック情報』と題したこのコーナーは、その名の通り、ニューミュージック(フォーク)界の人を取材して、近況報告をするという、時間にすれば約五分間程度のものでした。“なんくるないさ”精神で、ハリキッていた私も、第一回目のゲストが、あのオフコースだと知った時は、足がすくむ思いでした。
デンスケ片手に、レコーディングをしているスタジオまで行く間、台詞のようにメモされた質問項目を読み返します。何度も何度も・・・・・・。忙しい時間を少しさいていただき、小田さんと鈴木さんにインタビュー。
『は・・・初めまして、こんにちは』
『どうも・・・・・・』
『あのォー、レコーディングをしているのですネ』
『(当然という顔で)そうです』
『ハ・・・・・・ハハハ・・・・・・そうですよネェ・・・・・・。あ、あの、コンサートツアーはやっているのですか?』
『(話が飛躍するナ~という感じで)イエ、今はレコーディング中ですから』
『あ、あぁ・・・・・・レコーディング中ね・・・・・・』
ーーーといった感じで、まるで取材になっておらず、ゲストの方たちにはとても悪かったナーと、反省する毎日でした。と同時に、おしゃべりをすることの大変さを知ったのでした。
見るもの、聴くものすべてが初めての体験で、失敗ばかりしていた私だったけれど、毎日がとても輝いていたのです。ちょうど、言葉を覚え始めたころの子供のようにーーー。
オマケ










