『硝子坂』で受けたオーディション
♪キィーラキラ ひかるゥ~ ガラスゥ~ざかぁ~♪
一人で受けたオーディションで、何を隠そう、私はあの高田みずえさんの『硝子坂』を歌ったのでした。ちゃんとこぶしもいれて。
テレビをよく見ていた、そのころの私には“歌”と言えば、フォーク界よりキラキラとした歌謡界を思い描いてしまっていたのでした。
あまりにも違いすぎたため、その日はそれで帰り、ピアノの弾き語りで再度、オーディションを受けるという話になったのでした。
小学校一年のときからクラシックピアノを習っていたし、歌も好きだったので、それまで遊び半分で曲を作ったこともあったけれど、人前で歌ったことなどまったくなかったのです。
〈まさか、オーディションでピアノの弾き語りをするなんて・・・・・・〉
私の “もしかしたら・・・・・・”という夢は、どこかへ消えてしまっていたのでした。でも、受ける以上は、ヘタでもなんでも、とりあえずできるところまで努力してみようと思い『だれでも弾けるフォークソング』みたいな本を買いこみ、練習に練習を重ねたのであります。
しかし、なかなか思うように指は動かないし、声も出ないのです。
オーディションを受ける日、懸命になって練習はしたけれど、自信は0(ゼロ)でした。
〈私が歌手になれるわけないのよネェ〉
気持ちも開き直り、まァ、行くだけでも行ってみようという感じだったのです。
ピアノの弾き語りで『翼を下さい』『時代』などを歌ったわt氏は、ガラス一枚隔てた椅子にマタニティドレスを着たイルカさんが座っていると思っただけで、声が震え、手はしびれたのでした。
歌を聴いて、レコード会社の人たちは肩を落としました。が、一人だけ、こんな私に関心を抱いた方がおりました。その人こそ、だれあろう、イルカオフィスの社長であり、イルカさんの夫である、神部和夫さんだったのです。
とても信じられない話でした。こんな私にいったい何ができるのであろうか。
嬉しいとかいう問題ではなく、ただ不安のみだったのです。未知の世界へ飛び込もうとしているのだから。
現在、歌手という職業に就きたいと考えている人は、どれくらいいるのかーーーそう考えると、こんなチャンスは二度とないだろうと思ったのです。
私の中にある、私の知らない何かを見つけ出し、きっかけを与えてくださった神部さん。私は、無限の可能性にかけてみたかったのです。
その時かた、私の人生は一変したのです。そして、神部さんの説得により。クラウンレコード、イルカオフィスと契約を交わすことになりました。昭和五三年八月八日、聖子十六歳。
オマケ
たとえ音声が無くとも画像だけでも充分楽しめますねぇ。
今日は久し振りに徒歩通勤しました。
先週同級生と登った武田山&火山に比べれば平地の様なコースですが、アプリで確認すると結構アップダウンあります。
登山道の入口です(笑)。
草もかなり茂ってましたねぇ。
片道約3.2km約30分のコースです。