コメッコ先生はアイドル・スター
同じ年ごろの男の子と接するチャンスのない女子校というのは、どうしても、若い独身男性の先生に熱い視線を送り、したがって、若ければどんな形相の先生でも、とりあえずモテたのでありました。
母性本能をくすぐる、甘いマスクを持ったテニス部顧問、保険体育担当のM先生は、郷ひろみさんと人気を二分していました。(M先生の顔はグリコのコメッコに似ていたので、女生徒から“コメッコ”と呼ばれてた)
じつは、私もコメッコ先生の大ファンでありまして、そもそも初めての出逢いがじつに、少女マンガの世界だったのです。高校合格の知らせを受け、学校まで制服やら鞄やらを取りに行った時、やさしい声をかけてくれたのが、コメッコ先生。
『合格したの?・・・・・・それは、おめでとう。がんばってネ!』
少しの間、私は動くことができなかった。だって、目の前に無数の蝶々がヒーラリヒラリろ飛んでいたのだから・・・・・・。
〈これを一目惚れというのかしらん〉
瞳星印の入った私は、都合良く、私一人に声をかけてくれたものだと、有頂天になっていたので、あまりにも安易な妄想に走っていたのでした。その場に居合わせた生徒、全員に声をかけていたとは知らずに・・・・・・。
友だちと一緒にお昼のお弁当を作ってあげたり、職員室にある出欠者数を書く黒板に、当番でもないのに何度も何度も書き行っては消しに行ったり・・・・・・。乙女心は、微妙に揺れ動くのでありました。
オマケ
超人気アイドルと一字違いで「まねしている」
25日にニューアルバムリリース
「イルカの妹」というキャッチコピーで17歳でデビューした沢田聖子(しょうこ)。1980年代、女性シンガー・ソングライターとしてアイドル的な人気を誇っていた。
「実はアイドル志望だったんです。デビュー前に『スター誕生!』のテレビ予選に出演しています。300点以上が合格で決戦大会に出られるんですけど、審査員の点数が伸びなくて、たしか298点台でした。欽ちゃんの『バンザ~イ、なしよ』を経験してるんですよね」
そのとき審査員を務めていた作曲家、都倉俊一氏から「君の声はコーラスの声だ。ソロで歌うボーカリストの声じゃない」と言われた。「それで、いまだに声にコンプレックスがあるんですよ」と、トラウマになっていると明かす。
歌手デビュー前はモデル事務所に在籍していた。その当時、ビジュアル的にも通用する女性アーティストを発掘するため、モデル事務所数社の名鑑から、歌ではなくルックス重視でオーディションが行われた。
「本当は私の隣に写っていたコをオーディションに呼ぶつもりだったそうです。ところがそのコが別の撮影が入って、私がピンチヒッターで行ったんですね。そのときは、弾き語りもできなかったし、曲も作ったこともなくて」
当時ヒットしていた「硝子坂」を歌った。
「でも、レコード会社は乗り気じゃなかったみたいですね。声がコーラスだし(笑)。それで、1週間後に弾き語りで『木綿のハンカチーフ』を練習してきなさい、と。でも、それもボロボロだったんです。けど、神部(和夫)さん(イルカの亡夫で当時イルカオフィス社長)だけが、私を推してくれて」
1979年のデビュー後は、ライブや学園祭などの音楽活動だけでなく、水着グラビアやラジオDJなどマルチな活動をした。
「逆境といえば、その翌年から起きた名前の問題かな」。それは、日本を代表する超人気アイドルのデビューがもたらした。
「私は本名だし、先にデビューしているんですけど『まねをしている!』と随分言われましたね。いまだに“しょうこ”ではなく、“せいこ”と言われます。一文字違いで、誕生日も3日違いなんですよ」
今年で歌手生活も35年を迎えた。25日にはセルフカヴァーアルバム第2弾『~BLUE~』がリリースされる。
「50歳を過ぎて10代で作った楽曲をどんな風に表現できるだろうか、と。懐かしくありつつも、今のサウンドに仕上がっています」
それにしても、52歳とは思えない若さをキープしているが…。
「いえいえ、昔の映像をネットで見ると『なんて私、かわいかったんだろう!』って思います」と笑顔が弾けた。 (永瀬白虎)
■沢田聖子(さわだ・しょうこ) 1962年3月13日、東京都生まれ。生後11カ月から赤ちゃんモデルとして活動。79年、「キャンパススケッチ」(クラウンレコード)でデビュー。以後、31枚のアルバムと36枚のシングルをリリース。女性シンガー・ソングライターの草分け的存在だ。最新アルバム『BLUE』は沢田聖子公式HP(http://sawadashoko.boo.jp/)で購入可能。25日から全国ツアーがスタートする。
同級生グループで登って来ましたよ~。
コースはこんな感じです。
スタートから武田山頂上までの軌跡ですが、ここで弁当を食べた後で火山の頂上に向けて尾根を縦走して、反対側に降りてアストラムラインで帰路に着きました。
こちらは火山頂上、488mです。
トータル6時間、約8kmの気持ちの良い汗を流しました。
画像の一番左の山から真ん中の一番高い山の頂上を経由して下山しました。
撮影はアストラムライン内からです。
まさか山に登った帰路に公共機関を使うとは思っておらず、カードは持って行ってませんでしたので、切符購入しました。
