感動の嵐、学園祭
日ごろの成果を発揮できる時といったら、なんといっても学園祭。
出番十五分前には、体育館の脇で待機していなければならない。その間も、例の一方の鼻孔を押さえて、スーハースーハーするキョーフの腹式呼吸をしなければならないのです。
四〇人近い部員が、いっせいにスーハースーハー、荒い鼻息をたて始めるのですから、近くに座っているお客さんは、不気味な怪物でも観るような目つきで私たちを眺めた後、サッと席を立ち、帰ってしまうのにはショックでした。
何ヶ月も練習してきた歌でも、やはり本番になると、極度の緊張のため思うように声が出ない。隣で歌っているT子さんの声もうわずっている。
そんな私たちの心をほぐそうと、指揮をなさってる先生は人さし指を頬骨の所へ持っていき、“ニカッ”と笑ったりして、気をつかってくれるのでした。
しかし、いったん指揮棒を振りおろすと、人が変わったように、真ん中分けの髪を振り乱しX脚は屈伸運動を始め、身体全体から汗を吹き出しながら、“指揮者”という指名を、命がけでやり通すような方でした。
良くとも悪くとも、ステージを終えたあとの暗い反省会では、多感な少女たちは、必ず泣いたのでした。そして、それをまた明日から始まる、あの苛酷な練習の励みにするのでした。
ソプラノの先輩の中で、とても澄んだ、美しい声の、歌のうまい人がおりました。名前はたしか、I先輩。
オカッパ頭にトンボ眼鏡が彼女のテレ-ドマーク。歌のうまさはとてもとても文字でなどでは表せないほど。
またひょうきんでもあったI先輩は、よくセーラー服の黒いスカーフを“ヒラッ”と首で結び、手足をこすって銀バエの物真似をしてくれたり、コーラス部の花形スターだったのです。
I先輩は、友だちとバンドを組んでいて、学園祭などで大活躍していました。もっぱら応援するのは。私たちコーラス部の連中ばかり。ステージを盛り上げるためのサクラ的存在だったわけですが、全員、I先輩のファンだったことには間違いなかったのです。
I先輩の歌う『翳りゆく部屋』は、もうユーミンの作品ではないのです。I先輩のものになっているのです。
あの声量のある声に、何度感動したことか。
そのころ私も、遊び半分、面白半分で曲を作っていたので、先輩たちに刺激され、
〈絶対、私もバンドを組んで、オリジナルの歌を歌いたい!〉
なんて夢見ていたわけなのですが、周りにそれらしき仲間がいなかったため、それははかない望みに終わってしまったのでした。
オマケ
明日は好天みたいなので、高校の同級生と連れ立って登ってきま~す。
画像をUPしてくれた女子の姿が写りこんでいるのはご愛嬌ですね。

