転校生の悲しい宿命
中学三年の時、初めて転校なるものを経験したのです。理由はいともかんたん、受験の真似をしたかったから。
東京文化は、高校、短大まであり、そのままいけば、とても楽だったのだけれど、それではあまりのも楽しすぎる青春を送るのではないかーーーなんて、ふと思ったりしたのです。
・・・・・・とかなんとか、偉そうなことをいってるけれど、これ、じつはたてまえなのです。本当は、小、中、高・・・・・と、同じ学校に通うのが、イヤになったから。高校は違う学校を覗いてみたかったのです。それに、ずっと私立だったということもあって、一度、区立の学校へ通ってみたいものだという、前々からの願望もあったし、なんせ、区立は男女共学だから、決心はすぐに固まったのです。
友だちになったばかりのOさんと、廊下で話をしていた私。向こうから、赤ブチメガネをかけた女の子を先頭に、10人ぐらいの団体が、何やらブツブツ話しながら歩いて来ます。
特に、彼女たちに気をとめることもなく、Oさんとの話を続けていた私の左肩に、赤ブチの子がぶつかってきました。謝りもしない彼女に、呆然としていつと、後から後から、その10人が同じようにぶつかってくるのです。ビックリしてる私に、Oさんがいいました。
『この学校には、転校生が来ると、必ずいじめる人たちがいるの』
唖然とした私。何も悪いことをしたわけでもないのに、ただ、“転校生”というだけで、いやがらせをするなんて・・・・・・。
中学三年という、大人でもない子供でもない、中途半端な年ごろ。『もう私、子供じゃないんだから』なんて言葉を口にしたりする。けれど本当は、まだまだ幼稚なことばかりで、自分勝手な考え方しかできないのです。とても他人の気持ちを、思いやってあげられるほどの余裕など、ないのです。自分のことだけで精いっぱいなんです。だから、残酷なことをいったり、また行動したりできるのだと思うのです。
彼女たちは俗にいう、スケ番グループの面々でした。私は罪を犯した人のように、彼女たちの視線を避けて歩くようになりました。
〈そんなことをする必要はない。堂々と胸を張って歩けばいいじゃないか・・・・・・〉
何度、同じことを思ったか。しかし、彼女たちの屈辱にたえられなかったのです。廊下ですれ違えば『バーカ』といわれ、運動会でリレーの練習をしていれば『死ね!』よいわれ・・・・・・。
いう側にしてみれば、なんでもない言葉なのだろうけど、いわれたほうは、その何気ないひとことで、どんなに深く、心が傷つけられるか。
あれほど好きだった学校が、だんだん嫌いになっていき、学校拒否症とまではいかなくても、学校へ行くことを拒み始めていたのは事実でした。そんな時、風疹にかかった私は、ボツボツの顔に喜んだものでした。そんなイヤがらせも、時が解決してくれるだろうと思っていました。しかし、なんとも悲しいかな。それは、卒業するまで続いたのであります。
謝恩会で、我が三年G組の出し物の中に“キャンディーズ”の物真似があり、クラスで一、二を争う美女二人と、ああ・・・・・・なんと不幸にも、この私が選ばれてしまったのであります。
イヤイヤながら立ったステージは、いうまでもありません。悲惨なものでした。できればここから逃げ出したい・・・・・・しかし、逃げれば私の負けになるーーーそう思い、最後までこの試練に耐え『年下の男の子』を歌い続けたのでありました。
オマケ











