失恋に終わった恋物語 | ボンさんの聖子さん日記

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でもメインはオマケで~す。

失恋に終わった恋物語


 バス通学をしていた私は、毎朝七時三三分のバスに乗ってくる、K高校の男子生徒を気にかけるようになったのです。濃紺で、詰襟の学生服。学生の間で流行していた、アディダスのスポーツ・バッグ。一重瞼に少し厚い唇。そこから前歯が二本見える。この容姿に、我が胸は早鐘のごとく鳴るのでありました。

 一緒に通学していた友人のMさんに相談したところ、

『声をかければいいじゃない・・・・・・』

 と、無責任な返事しか返ってこない。しかし、他にどうすることもできなかったので、いつまでもウジウジ悩むよりは、思いきってスパーッといこう!と開き直り、“声かけ作戦”の計画を練り始めたのであります。

 ーーー場所はバスの中。なるべく混んでいる日を選び、偶然を装って、隣へ行く。バスがブレーキをかけた瞬間、ヨロッと彼のほうへよろめく。そこでかわいく、『ゴメンナサイ・・・・・・』

 すると彼が『いいえ・・・大丈夫ですか?』と、話しかけてくるーーー。

 よし!!これでいこう。このきっかけで、万事うまくいくぞ!!

 なんともくさい芝居を考えた私は、数日後、決行したのです。が、なかなか筋書き通りにいきません。

 偶然など装えず、人をかきわけ、ようやく彼の隣へ立つ。ブレーキのかかるのを待てども待てども、満員通過でかからない。そのうち、彼の顔をジ~ッと見つめる私の視線に、ただならぬものを感じたのか、不審の瞳で私を見つめ返してきた。

〈今がチャンス!〉

 そう思い、恥も外聞もかなぐり捨てて、私は声をかけたのです。

『どこに住んでいるのですか?』

 一瞬、たじろいだ彼は、ややあって、

『田無・・・・・・』と、低く答えた。

 これが良かったのか悪かったのか、とにかくそれ以後、私たちは話をするようにまったのです。でも、二人でどこかへ行くということはなく、彼の友だちと私の友だち、数人でボーリングやスケートに行ったものでした。

 しかし、楽しい日々はそう長くは続きません。

 学園祭シーズンの過ぎた日のこと、いつものように電話で話をしていました。『ある日、突然』という歌がありましたが、まさに突然。

『他に好きな娘がいるんだ・・・・・・』

 といわれたのです。なんと答えていいのかわからず、ただ電話口で私は声をたてて泣いていました。

 ーーー初恋は実らないものーーー

 だれかがそんなことをいってたっけ・・・・・・。

 まだそのころは“男の人とつきあうということ、イコール、その人と結婚しなければいけないのだ”ーーーそう信じていた私には、失恋もひとつの良い人生経験になったのでした。


オマケ



「イルカの妹分」

沢田聖子さんが語る

“シンデレラ物語”と現在


 79年、「イルカの妹分」をキャッチコピーに歌手デビューした沢田聖子さんは当時、若手シンガー・ソングライターの先頭を走っていた。その可愛らしい容姿で人気を集め、多くの学園祭で歌って大学生のアイドルになった。最近は歌声を聞かない。今どうしているのか。

「今でこそイルカさんはメル友ですが、デビュー当時はまさに神様、雲の上の存在でしたね」

 JR新宿駅に近いカフェで会った沢田さん、こう言って昔を振り返った。

「でも、昔からのイルカさんのファンとか、フォーク好きってわけじゃなかったんです。ワタシ、生後11カ月から赤ちゃんモデルをやってて、CMやドラマにちょこちょこ出てましてね。17歳のとき、別の子が仕事で穴があいちゃったから、とピンチヒッターで行かされたのが“イルカの妹分”のオーディションでした」

“ニューミュージック”と呼ばれる音楽が台頭を始めた頃だった。

「歌手の登竜門はヤマハのポプコンとかで、実力でデビューを勝ち取る、が風潮でした。ところが、ワタシは曲作りどころか、歌だってド素人。1週間の付け焼き刃の練習で弾き語りを披露したんだけど、案の定、どこのレコード会社からも見向きもされなかった。そんな中、イルカさんの夫であり、プロデューサーだった故神部和夫さんが唯一、興味を持ってくださり、半年後のデビューが決まりました。これぞシンデレラストーリーですよね」

■「口車に乗せられ、ビキニで浜辺を走るビデオまで」

 79年、「キャンパススケッチ」で歌手デビュー。

「だけど、基礎も実力もない。曲ってどうやって書くの? から始まり、“イルカの妹分”として敷かれたレールの上を歩くのに必死でしたね。なのに、口車に乗せられ、ビキニで浜辺を走るビデオまで撮っちゃって。今でも“アイドルやってましたね”と言われることがあるし、ああ、若気の至りです、ハハハ」

 とはいうものの、その後は自作の曲を数々発表。これまで作詞作曲した曲は150以上。持ち歌は250曲を超え、毎年6月にはかつてジョイント公演を行っていた「初恋」のヒットで知られる故村下孝蔵の追悼ライブを開いている。また、USTREAMで「沢田聖子と圭二郎のショートケーキのヨル。」なるトーク番組を月1回配信中だ。

「台本も筋書きもなく、ただただオネエ(圭二郎)と爆笑トークをする、おバカな内容です、ハハハ。あと、毎年3月にはバースデーライブツアーをやるのが恒例なんですが、4年前から250曲の楽譜を持ち込み、その場でオールリクエストで歌う試みを続けてます。初期の曲をリクエストいただくと歌詞も曲も幼くて、この年齢で歌うのはちょっとなあ、なんて照れてしまう。ただ、息の長いファンの方が喜んでくださるからと歌ううちに、若い頃の楽曲と改めて向き合ってみたい気持ちにもなるんです」

 去年、初のセルフカバーアルバム「Singer Song Writer~GREEN~」を発表。この5月25日、その第2弾「Singer Song Writer~BLUE~」とDVD「SHOKO SAWADA 2013 Road Movie~GREEN~」を発売。同時に横浜の「サムズアップ」でのライブを皮切りに、吉祥寺、奈良、京都など全国を回る。

「DVDに水着のシーンはありません、ハハハ。今はライブのセッティングからおカネの管理まですべて自分でやってて、正直、金銭的にはけっこう大変な部分もあります。でも、50を過ぎても歌える幸せを噛み締め、ライブ中に心筋梗塞かなんかで死ねたら本望だな、とか本気で考えることもあるんですよ」


遅ればせながら、ようやく予約しました。

去年の“GREEN”の振り込みの時、嫁さんに頼んでおいたら何を間違えたのか、《3500円》の入金のところを《3005円》と言うネタ的に美味しい間違えをやらかしてくれたのですが、今回は無事に入金出来たみたいです。

ちなみにその時は《495円》を追加で入金して事なきを得ました。





二段階の入金にも関わらず無事に確認のメールが届きました(笑)。