こんばんは☆



心屋認定カウンセラーの
しょーこです。



今日は前回、つづきです。

↓↓↓

自分の過去って、本当恥ずかしい…。


でも他人からすると
他人の恥ずかしいことって


実は屁以下だって(笑)


この前の京都Beトレでも
ぢんさんが言ってたよね~!



なので今日も続き書いてみます!!



おそらく長文ですが、おつき合いください♡


まぁ、これでも食べながら…。



*◇*◆*◇*◆*◇*◆*◇


えっと、どこからだったっけ?!


あっ、そうそう!



とうとう!
ついに!


ハチャメチャ暴れん坊娘、
キャミ子が生まれるのです!!



キャミ子はなかなかの難産の末、
生まれます。



頭の旋回がうまくできなかったみたいで
生まれてくるのに時間がかかって、


母子共に体力が低下してきたため


最後は吸引されて生まれてきました。




そんなキャミ子、


生まれて2日目の夜から


暴れん坊の頭角を現します。


全く寝ない…


私のおっぱいを吸いながら
ウトウトはします。



でも一向に寝ない。



そして泣き方が激しすぎる。



新生児ってだいたいそうですよね。



私も初めての出産なので、
これが普通だと思っていました。



生まれたばかりのキャミ子は24時間ずっと
私のおっぱいにひっついた状態で


下に置いたらすぐ起きるし


とこでも激しく泣き続ける。


赤ちゃんのあるあるですよね…


背中にセンサーがあるとかないとか…


とにかくなかなか寝ない。




しかしそれは何ヶ月、


そして何年も続き、


睡眠障害と診断されるところまでに
いきつきます。





キャミ子が生まれた産婦人科は
完全母乳を推奨していた。


赤ちゃんが泣いたらすぐおっぱいをあげてね。
と教えられた。


私はこれでも真面目ちゃんなので、
それを守った。



私が赤ちゃんの頃は
完全ミルクっ子だったので



私は完全母乳にこだわってしまったのもある。



そして、出産前
当時話題になっていた
この本を読んだばっかりに…


頑張っちゃいましたよー!!



いや、とてもいい本で…
感動したんだけと…
こんな出産や子育てに憧れたんだけど…


私、全然大丈夫ちゃいましたー。




壮絶なお産を終え
実家に帰ってきた私。


私のお産を終えての感想は
ただただ終わってよかった…


もう、痛すぎて痛すぎて
終始恐怖だった。


それがやっと終わった。


感動したとかよりも
もうあの怖い思いをしなくていい…
あぁ良かった…。


というのが、正直な感想。


帰ってきても、
まだ恐怖や不安が脳裏に焼きついていた。



キャミ子が生まれたのは冬。


私は寒い中、
1日中、おっぱいを出して
キャミ子をずっと抱っこしていた。



家事なんてひとつも出来ない。


幸い実家でだったからなんとかなったけど。



毎日、
キャミ子の激しい鳴き声に怯えて
24時間、私もキャミ子も
寝たか寝てないかわからない状態。


食事も食べたのか食べてないの
かわからない…。


ずーっと緊張状態。


この冬はいつも以上に寒くて
(乳出しっぱなしだし
もともと冷え性である
私の血液の循環は最悪だったと思う。



案の定、乳腺炎を何度も繰り返します。



あの辛さはなった人にしかわからない
かもしれない…。



とにかくおっぱいが痛い。
痛いって程じゃない。
なんか爆発しそうな感じ…
(どんな感じや



甘い物や油物。チョコレートなんて1粒でもだべた日にはすぐにおっぱいが詰まって


大変な事になる。



本当に痛くて辛いし、熱は出るし
キャミ子もおっぱいが出なくて、
不味くて激しく泣くし…


助産師さんにつまりをとってもらうんだけど、
その作業中も
キャミ子はずっと泣いている。


それから私は自分の食事も
ストイックに気をつけた。



白ごはんと、具沢山のお味噌汁。
とにかくそれだけを食べた。


なんかしらんけど
乳腺炎に効くとされる
苦いお茶も飲んだ。



甘い物、ジャンクなもの
大好きなのに、絶対に食べなかった。


また頑張った。


今ならわかる。


乳腺炎は食べ物だけのせいじゃない。


ならない人は何を食べてもならない。


母乳は血液で出来ている。


きっと私の精神状態による
血行不良が一番の原因だったと思う。


もともと血流が悪い。


血流不足。


堀江さーん(´Д`;)

この本大好き♡



とにかく生まれてすぐは、ヘロヘロの状態。



普通は1ヶ月経つとお宮参り行きますよね。


でも私は全然
お宮参りに行ける状態じゃなかった。



状況的にも、
私の体力や精神的にも…。



あの大変な時期にお宮参りに行ける
世のお母さん達は本当に凄いと思った。



それに比べお宮参りにも行けなかった自分は、
なんてダメな母親なんだ…



そう思った。




新居の関係もあって
3ヶ月ほど実家で暮らし


その後元旦那と暮らすことになる。



元旦那と暮らすことは
不安でしかなかった。


でも私は
当時はまだまだ頼ることや
ダメな自分を見せることが出来ない人だったので


1人で家事と育児を頑張った。


でも全く出来ない。


バレる!


やばい!!


ダメダメな自分がバレちゃうーーー!!!


てか一緒に住んでいたら
絶対バレるよね…。


元旦那も私がそんなダメな奴って
知らなかったみたいだから


きっと衝撃を受けただろう。


3人で一緒に暮らしはじめて
数ヶ月たった頃、


私はまた乳腺炎にかかった。


もうこれはダメだ。


乳腺炎にかかったら
キャミ子はまた泣き続ける。



いつも乳腺炎のケアをしてもらっていた
助産師さんが、実家の近くにいたから
早くその先生に治して貰いたい。


熱もあるし、おっぱいも痛いし
少し休みたい。


実家から距離が離れていたので
泊まりで少しの間帰りたかった。



だから


「ちょっとの間だけ、実家に帰りたい。」



そう元旦那に告げた。


そしたら


「実家に帰るなら、離婚じゃ!!」


と言われた。




娘は9ヶ月くらいになっていたが
睡眠は不安定。
夜もまだ1時間おきぐらいに起きる。


仕事に支障をきたすと言って
元旦那は別の部屋で寝る。



怒りも湧いたけどそれはそれで
ホッとしている自分もいた。



迷惑をかけずに
自分のペースで授乳できるから。



家では朝も昼も夜も
しょっ中おっぱいにぶら下がっているか
抱っこ紐の中にいる。


機嫌よく一人遊びなんて一切なかった。


どこかに出かけてもすぐ泣くし
愚図るし、なかなか行けない。



乳腺炎になると私も辛いし
娘がおっぱいが飲めなくて
泣き叫ぶ事が嫌で


家事が全然出来ない自分も嫌で
娘の事だけで手一杯な自分も嫌で
ダメな自分が全部バレてしまうのも嫌で
それでも頑張らないといけないのが嫌で



私はその日のうちに
逃げるように実家に帰った。




それをきっかけに
長い別居生活が始まった。


しばらくして元旦那が遠くに転勤になり
ほとんど会わなくなり、


2年後ぐらいに離婚した。



*◇*◆*◇*◆*◇*◆*



娘の育児は
恐ろしく大変だったけど


初めての子どもだしこれが
普通なんだと思っていた。



実家に帰って、少ししてから
市の定期検診があった。


キャミ子は10ヶ月になっても
ずりばいもハイハイもできない。


うつ伏せにさせると泣くし。
転がしても泣くし。


要再検診となった。


1歳になってもハイハイしなかった。


つかまり立ちもしない。


そんなにハイハイしないのはいけないの?
個人差でしょ、と思っていたが



検診で小児科先生は



やたらキャミ子の目を見ている。



ハイハイしないんだから
足とか腕とか、体を診るんじゃないの?



でもやたら
目ばかり見ている。



私には目を合わせてくれるキャミ子。



でも小児科の先生には全く目合わせていなかった。



今ならわかる。これが
自閉症スペクトラム児の特徴だということは。



その先生は何も言わなかったけど
もうきっとわかっていたんだろうな…。



先生はちゃんと歩けるようになるために
訓練をしてくれる専門の施設を
紹介してくれた。



そこに数ヶ月通うと
普通の子どもよりちょっと遅かったが
キャミ子も立って歩けるようになった。



そこの作業療法士の先生が
サラッと言ったの。



「キャミ子ちゃんは小学校行く前ぐらいまで
スキップが出来るようになるくらいまで
しっかり診て行きますからね~!」



えっ、ハイハイ出来ないくらいで
なんで小学校まで?!


私の頭の中は???でいっぱいになった。


1歳やそこらではまだ発達障害は診断されない。


キャミ子が歩けるようになって
訓練は一旦終了した。




それからもキャミ子は
とても手のかかる子どもだった。



これまでも記事にしてきているが
まぁ、赤ちゃんの頃から癇癪はすごかった。



小さい頃は外でもよく癇癪起こしていたし、


スーパーで酷い癇癪を起こして
買い物カゴを置いて(レジまで行けない
自転車も置いたまま(暴れて乗れない


暴れるキャミ子を必死で抱き抱えて
自分も泣きながら
歩いて帰った事も何度もある。



みんな、どうして子どもをここまで泣かす?!
という冷ややか目で見ていた。
(私がそう感じていただけかもしれないが


知らんおばさんに
しつけがどーとかこーとか言われたこともある。




あと離乳食は全面拒否。
一口たりとも食べなかった。


3歳すぎまでほぼ母乳で育つ。



現在も酷い偏食で毎日悩まされる。
食べられるものが少なすぎる。



毎日何を食べさそうか?
何なら食べてくれるか?
お菓子ばっかり食べさせて
ちゃんとしたごはんを食べさせないなんて虐待?!

食事の事を考えるだけで毎日反吐が出そうになった。



そして多動。


一瞬の隙に姿をくらわす。


買い物なんて抱っこ紐に入れてないと
出来やしない。


カートなんて乗ってくれない。
もちろんベビーカーも。


初めての子どもだから
新品で奮発して買ったベビーカーは、


ほぼ新品のまま
友達の子どもへと受け継がれた。




夜は4歳くらいまで、夜中に何回も起きた。



夜中に起きて覚醒してしまう事も多くて
夜中にずっと起きてて、
朝眠ってしまうなんて事も数えきれない。



入眠も困難で、お昼寝もまともにしないのに
夜寝るのが夜中12時を過ぎてしまうこともあったので睡眠時間と診断された。



だから2歳半くらいからずっと
メラトニンという睡眠導入剤を飲んでいた。



5歳の夏頃、
最近やっとメラトニンがなくても
眠れるようになってきてた。



癇癪、偏食、睡眠が
私の3大悩みだった。


いつも生活が無茶苦茶だった。


多動とか
こだわりとか


集団行動が出来ないとか
友達と遊べないとか
空気が読めないとか


いろいろあるけど


確かにそれも大変だったけど、


実際の生活の大変さに関わってくる
上記の3つが今でも大きな悩みである。



私の生活は全てキャミ子に奪われる感が
すごくあった。




そんなキャミ子は、
3歳すぎに
自閉症スペクトラムと診断された。



私はその時、少しホッとした。



だって
今までの育てにくさの原因がはっきりしたから。



私の育て方のじゃなくて
母子家庭だからでもなくて




それは脳の特性からくるものだと
わかったから。




次は私がどのように心屋に出会ったかなど
書いてみたいと思います( ´ ▽ ` )ノ✩.*˚