今日は私の自己紹介を書いてみます。

 

 
心屋リセットカウンセリングマスター
(心屋認定カウンセラー)の
しょーこです♡
 
 

 
1978年生まれ。
(歳は計算してください。
 
 
血液型:AB型
 
 
シングルマザーで
 

私と、娘のキャミ子(6歳)
私の母の3人暮らし。
 
 
コーヒーや紅茶を飲みながら
甘いものを食べるのか大好き♡
 
 
一人でお茶するのも
気の合う仲間としゃべりながら
お茶するのもどちらも好きです。
 
 
 
☆大好きな有名人☆
 
QUEEN
G-DRAGON(BIGBANG)
草野マサムネ(スピッツ)
 

後者ふーん族です。
 
 
 
 *◇*◆*◇*◆*◇*
 
 
 
子どものころは
 
 
両親、3つ上の兄と4人で暮らしていました。
昭和の普通の核家族。
 
 
両親が仕事で忙しく
私は0歳から保育園へ放り込まれる。
 
 

保育園時代の記憶はあまりなくて、


毎週ある体操教室が嫌で嫌で仕方なかった事、

真冬に裸ん坊でマラソンしなければいけなかった事が嫌すぎたことくらいしか覚えてない。
 
 
 
子どもながらに嫌でも毎日
絶対に行かなきゃいけない場所だと思っていた。
 
 
 
体は大きくて、元気で健康。
 
 
何でもよく食べたし、好き嫌いは特になし。
 
 
運動は苦手で、絵を描く事が好きだった。
 
 
 
*◇*◆*◇*◆*◇*
 
 
小学校から鍵っ子になる。
 
 
3歳上の兄がいて
兄の友達が毎日何人も家に遊びに来るのが
嫌だった。
 
 
兄の友達に何故か
しょーこくりーむとあだ名をつけられた。
ソフトクリームから来ているらしい。
(子どもの発想って…
 
 
その頃はそのあだ名がすごく嫌だったが
 

今思えば、案外かわいいネーミングだ(笑)
 
 
30数年越しに
ブログの名前に採用される。
 
 
 
 
小学校中学年あたりから
自分の容姿にコンプレックスを持ち始める。
 
 
 
小学校の頃、祖父に会えば必ず

「お前が小さかった頃は、本当にブサイクだった」

と言われていた。

 
会えば、ネタのように毎回言う。

 

何でそればっかり言うねん!
おもんないわ!このクソジジイ!
と心の中で思っていたが
 
 
あまりに何度も言うので
幼い私はそれを信じた。
 
 
アルバムの中の自分の写真を見ても
本当にブサイクだと思った。
 
 
それから写真を撮ってもらう事が
嫌いになった。
 

 
 
小学校4年の時に
仲良しグループ内でいじめが始まる。

私がいじめられる時もあれば
友達がいじめられる時もある。
 
 
グループ内でぐるぐるターゲットが変わるやつ。
 
 
私がターゲットになる事が多かった。 
 
でも私は学校では、絶対泣かなかった。
 
 
子どもたちは泣かない私を
どうにか泣かせようと
いじめはエスカレートする。
 
 
学校から帰ってくると
誰もいない家で、コタツにもぐりこんで
思い切り泣いた。
 
 
今思えば
小学生によくある感じのいじめだ。
 
 
それほど大きいいじめじゃ
なかったかもしれない。
 
 
でもこれはお母さんや家族には
絶対知られてはいけないと
子どもながらに判断して
 
 
母が帰ってきても
どんなに辛くても精一杯
何もなかったかのようにふるまった。
 
 
 
朝になったら学校へ行かなきゃいけないので
ずーっと夜のままがいいと思っていた。

いつも明日こそ学校を休んでやると思っていた。
 
 
でもすぐに朝がやって来る。
 
 
いつも一晩眠ると、
真面目で我慢強い私に戻っていた。
 
 
 
お母さんを困らせてはいけない
お母さんを心配させてはいけない
 
 
そう思いながら
必ず毎日、学校へ向かった。
 
 
私は小学校では、高学年まで皆勤賞だった。

学校は休んではいけない所だと思っていた。
 
 
5年か6年で1回くらい休んだ事があるくらいだった。
 
 
5年になり、
いじめのボス的な奴とクラスが別れたのでいじめグループは解散。
 
 
平和なクラスになった。
 
 
私にとっていじめられていた事は
とても恥ずかしい事だと思い込んでいたので
 
 
大人になった今の今までずっと隠していた。
 
 
 
恥ずかしい
汚点
情けないこと
変な人だと思われる
 
なぜかそんな風に思っていた。
 
 
 
でも最近
ぢんさんも中学生の時いじめられていた事を
大人になるまで隠していた。
 
 
という話を聞いて、すごくびっくりした。
 
 
あのぢんさんでもそんな風に
思うんだ!!
 
 
 
 
小学生の私は
日中は仕事で両親がいないので
結構自由に過ごした。
 
 
お菓子を作るのが好きで
クッキーやらケーキやら、パンも作った。
 
 
 
兄が中学生になると
部活などで家にいなかったので
 
 
学校が終わると
私はいつも一人で家にいた。
 
 
暇人な私は
母が帰ってきたら
母にあの話しをしよう
この話をしようとワクワク色々考えた。
 
 
いつも忙しくしている母を
少しでもラクにしてあげたいと思って
お手伝いもたくさんした。
 
でも帰ってきた母はいつも
 
 
私の言うことややることに
いい顔はしない。
 
 
何かしたいと言うと、いつも必ず
「アカン!」

と言った。
 
 
あれは母の口癖だったと今はわかる。 

だって娘が40歳になった今でも第一声は
「それはやめとき!」だ。
ちょっと丸くはなっているが…
 
 
 
お手伝いやお菓子作りもあまり喜んでもらえなかった。
 
 
子どもがいろいろすると逆に散らかって
後始末に手間がかかるというのも
今ならわかる。
 
 
でもその頃はわからないし

私は何を言っても、何をしても
反対されるし、喜んでもらえないので
 
 
もうあまり何も言わない事に決めた。
 
 
相変わらず
お手伝いはしていたけど。
 
 
 
母は仕事で忙しいので、基本子どもをほったらかしだった。
 
 
でも子どもと一緒にいる時は
過干渉で口うるさく
そして心配性だった。
 
 
子どもがついやってしまう行動を否定して

こうしないとこうなる…
ああしないとこうなる…
 
 
と言って
自分の価値観をじわじわ押し付けた。
 
 
自分の意見がいつも正しくて
結局、家族全員を自分の意見に合わせさせる。
 
 
そしてややドライな人だった。
 
 
子どもとのスキンシップや
母親の温もり的なことはあまりしない人だった。
 
 
お誕生日にケーキやご馳走が出てくることも
あまりなかった。
(でも記憶は700%嘘らしい
 
 
いつも
友達の家庭がうらやましいと思っていた。
 
 
母にそれを言うと
必ず、
 
 
「よそはよそ、うちはうち!!」
 
 
出た!オカンあるあるワードNO.1
 
 
 
 
当時の私は
早く大人になりたいとずっと思っていた。
 
 
いつも一人で退屈で
 
 
大人になったら、自由で楽しくて
素敵な人生が待っているにちがいないと信じていた。

 
それは両親を見てそう思っていたわけではない。
 
 
テレビドラマを観たり
少女漫画を読んだりして
淡い期待を抱いていたと思う。
 
 
 
 *◇*◆*◇*◆*◇*
 
 
 
中学、高校と
自分の容姿のコンプレックスが更に強くなる。
 
 
 
子どもの頃から身長が高くて、
当時、今より10kg以上太っていた私は
はっきり言ってデカかった。
 
 
 
小さくて細くて
守ってあげたくなるような女の子が
うらやましくて仕方なかった。
 
 

私はデカい。
デカいから誰にも守ってもらえない。
デカいから全部自分でしなくちゃいけない。
 

そんな謎の前提が出来上がっていた。
 
 
 
好きな人は出来るが
全く振り向いてもらえず
彼氏も出来ず、全然モテなかった。
 

友達関係は良好だったけど、
 
 
でもいかんせん
恋愛関係は全くダメだった。
 
 
 
高校3年の時
私はお菓子作りが好きなので
製菓の専門学校に入りたいと思ったが
 

 
母から強く反対され
地元の短大に進学。
 
 
それなりに楽しい短大生活を送るが
彼氏はずっとできないまま。
 
 
モテない私は一応
本を読んだりしてモテるための研究をする。
 
 
 
何かの本に
 
 
「不幸そうな女が一番モテない」
 
 
って書いてあって衝撃を受ける!Σ(゚д゚lll)
 
 
なぜかそれをすごく信じて採用する(笑)
 
 
 
不幸そうにしてはいけない。
過去の不幸話をしてはいけない。
かわいそうな女になってはいけない。
 
 
いつも明るく幸せそうにしてないといけない。
 
 
どう見ても
地味ぃーに不幸な私が、
 
 
必死で
幸せそうに見える鎧を集めてきて
 
 
偽幸せそうな女を演じようとするようになる。
 
 
何があっても不幸そうな話は隠す。
 
いつも地味ぃーに不幸な私は
 
それらを全て隠す事に決めた。
 
 
 
 *◇*◆*◇*◆*◇*
 
 
 
短大卒業後、
就職もせずフリーターになる。
 
 
パティシエを目指そうとケーキ屋でバイトするが3ヶ月で辞める。
(お菓子作りは趣味でいいと悟る。
 
 
いつも母親には
私は行き当たりばったりだと言われていた。
 

 
後先の事を何も考えてない。
だからいつも失敗する。
 

当時は本当にそうだと思った。


それからは何かをやるためには


ちゃんと考えて
ちゃんと計画して
慎重に行動しなければいけないと

強く思うようになった。
 
 

そして私は母親の言う通り
ちゃんと就職しなければと思い
 
 
化粧品メーカーに就職。
美容部員として働くことになった。
 
 
この仕事はとても楽しかった。
 
 
化粧をすることで
女の子は変われる事を知る。
 
 
10kgのダイエットにも成功した。
 
 
お金も自分で稼げるようになり
 
メイクも覚え
 
ファッションも研究し
 
 
学生時代よりかそれなりに綺麗になった私に
初めて彼氏が出来る。
 
 
しかしその彼氏は
俗にいうダメンズだった(๑꒪▿꒪)
 
 
浮気
虚言癖
お金にルーズ
マザコン
潔癖症
たまにモラハラ…
 
 
 
でもその彼と
なんと10年もつき合った。
 
 
 
長くつきあった理由は
すごくおもしろい人だったから。
一緒にいてすごく楽しかったから。
 
 
 
いつもお茶しながら
甘いものを食べで
ずっとケラケラコロコロ笑っていた。
 
 
それが
私の大好きな時間だった。
 


でも彼は浮気性なので
きっと私以外にも
彼女はいたであろう。


私も10年もの間、
ずーっとその彼一筋だったという訳でもない。
ちょっこっと他に恋をしたこともある。


まぁ、私が出会う男性は
だいたいダメンズでしたけど…(꒪д꒪II



でも結局私は
その彼が大好きで


今まで生きてきた中で、一番好きだったなぁと

今でもたまに思い出す。
 
 
 
 
20代の頃は美容部員の仕事をずっとしていた。
 
 
自分に自信がなく、
売れない美容部員だったが
 
 
人とお話しながら
メイクをしてあげたり
スキンケアをしてあげたりする仕事は、とても楽しかった。
 

 
色とりどりの可愛い化粧品達に囲まれ
宝石のような小瓶に入った、華やかで奥深い香水達に囲まれて

毎日それを見るたびにウキー♡ってなって目がハートになった。
 
 

女ばかりの職場だったけど、
とくに派閥やいじめもなく

みんなでご飯に行ったり
コンパに行ったり
海外旅行に行ったり

結構自由気ままな20代を過ごした。
 

 
しかし私は30歳を目前にして
このままだと婚期を逃すと焦り始める。



おもしろいだけで
長年つき合っても結婚する気のない不誠実な彼を
私の母親はすごく反対した。
 

 
当時の女ばかりの職場も原因だと
思っていた私は、

行き遅れないよう、転職を決意する。
 
 
男性もたくさんいる会社の
OLになった。
 
 
女ばっかりの職場で
力仕事も自分でやるしかない
土日祝、盆暮れ正月も関係なく働く
サービス業だった私は
 
 
 
半分以上男性社員がいて
土日祝が休みで

重い荷物を持ったり、
力仕事は男性がやってくれる
そんなOLという仕事にも
 
 
ちょっと憧れていたので、嬉しかった(笑)
 
 
OLに転職してからも
まだその彼とはしぶとくつき合っていたが
ついに決心して32歳の春、お別れした。
 
 
 
その後すぐ新しい彼氏が出来て

付き合って1年くらいで
結婚が決まり、妊娠した。

 
ダメンズと長年つきあって
オーバー30で別れて、
 
 
その後、奇跡的に
トントン拍子で結婚が出来た私。
 
 
やっと地味ぃーに不幸な私を卒業して
 
 
やっと本当に幸せになれるー♡
 
そう思った。
 
 
 
会社は寿&出産退社して
ついに娘、キャミ子が生まれる。
 
 
しかし、
順風満帆だと思っていたのも
つかの間だった。
 
 
 
元旦那とはいろいろ訳あって
ほとんど別居生活を余儀なくされる。
 
 
 
キャミ子も実家で産み
ほぼ実家で育てた。
 
 
2年ほどの別居生活を経て
 
 
キャミ子が3歳の時、離婚が成立した。
 
 
一緒に住んでいたのはほんのわずかの時間だった。
 
 
パートナーシップの
パの字もかじっていない。
 
 

未婚の母と言った方がしっくりくるかもしれない。
 
 
それから母娘、
私とキャミ子の
 
波乱万丈な
 
 
第2の人生がスタートするのである。
 
 
 
思いの外、長くなってしまったので
へつづきます。
(=゚Д゚=)
 
 
 

 
てか、書いたものの自分の話
めっちゃ恥ずかしいんですけどぉ…゚(゚´Д`゚)゚。


 
このブログが恥ずかしすぎて、投稿しようか迷っていて
ふと心屋おみくじを引いてみる。
 
そしたらこんなんが出た!!!
このおみくじ、まじでなんなんーーーー゚(゚´Д`゚)゚。


夜中にこっそり更新しよう。