北海道旅行もいよいよ終盤に近付いてきました。占冠ICから追分ICまで55kmほど高速道路を走り、安平(あびら)町へと向かいます。安平町は平成18年に早来(はやきた)町と追分町が合併して誕生した町で、昭和29年に安平村が早来村に改称してから半世紀ぶりに安平の名前が復活しました。
追分といえば、蒸気機関車の車庫が一番最後まで残っていた追分機関区のあった場所です。蒸気機関車の引退後は扇形機関庫での保存が決まっていたそうですが、国鉄の労使紛争最中の昭和51年に起きた不審火で機関庫は焼け、数輌の蒸気機関車が置き換えられたディーゼル機関車と共に焼失したということです。
保存対象外のため機関庫外に置かれていた蒸気機関車が焼失を免れ、そのうちの1輌が追分駅から数キロの場所にある道の駅あびらの鉄道資料館に保存されています。
また、火災時に焼け残ったD51 603の一部が巡り巡って京都の嵯峨野で保存されているということなので、かつてのブログを確認してみると3年半前に19世紀ホールでお目にかかっていました。
このときは理由を知らず、中途半端なカット保存だなぁと思ったのですが、たいへん重要な存在だったのですね。
前置きが長くなりましたが、ようやく道の駅あびらD51ステーションに到着です。
写真がボケてしまいましたが、追分機関区にあった扇形機関庫のジオラマと説明パネルです。
「炭鉄港」というのは、空知の炭鉱、室蘭の鉄鋼、小樽の港湾と、それらをつなぐ鉄道を舞台にした近代化産業遺産群だそうです。
道の駅にある鉄道資料館に保存されているD51 320 が、炭鉄港の構成文化財のひとつとして5年前に日本遺産と認定されました。
資料館はなんと無料で見学できます。
改札口と書かれた扉を入ると、正面にD51がデザインされたマンホールが並び、横を見ると黒く輝くD51がドーンと現れます。
機関車の周囲の壁には、数多くの貴重な品物が展示されています。
左に展示物、右に機関車を見ながら進んでいきます。
「展示物に触れないでください」だけでなく、黄色い札には「車体は油で磨かれているため触るとベタベタに手が汚れます」と書かれています。ほんとにギラギラです。
室蘭本線と夕張線の合流地点である追分は、石炭輸送の要でした。
D51の後方には赤い機関車が繋がれています。
年に数回D51の屋外展示が行われるのですが、そのときにこの赤い機関車がD51の移動を担うのでしょう。かつては貨車の入れ替えに従事していたもののようですが力持ちですね。
出口の手前にはキハ183系の座席が置かれています。
座り心地は117系新快速の方がよかったかも。
資料館を出ても道の駅内に展示があります。
クラウドファンディングによる資金調達で、解体を免れて保存が決まったキハ183に関するお礼です。
キハ183は屋外に展示されているので、このあと見学に行きます。
高規格の石勝線にキハ183系が投入されたことにより、千歳や札幌への移動が格段に便利になったようです。
建物から外へ出ます。
キハ183を目指して速足で歩いていると、後ろから追ってきた女の子に「おにいさん、車持ってる?」と声を掛けられます。「レンタカー」と答えると「アチャー、ごめんなさい」と去っていきました。買い物後に道の駅を出発するときにもまだ駐車場で声掛けを続けており、どうやらヒッチハイクのようです。声をかける前に、列車に必死になっているこちらの様子をよく見てほしかったな(笑)
右の機関庫が先程D51を見学した資料館です。
キハ183の横を過ぎると、車掌車ヨ3500と2軸貨車ワム80000の貨物編成があります。
特殊標記符号の「ハ」が付いていますが、本来少し小さく書くはずですね。「ハ」は標記トン数が15tのパレット荷役用有蓋車を表し、「パ」から変化したということです。
建物に戻ります。
小さなフードコートで昼食をとり、買い物します。
キハとデゴイチのTシャツやグッズがたくさんあります。
暖簾もD51です。
買い物をするとJAF会員証の提示でポストカードプレゼントとレジ横に書かれていました。近くにはSL写真のポストカードが並んでいたので、どれを頂こうかと考えていたのですが、残念なことにイラストの絵葉書を手渡されました(;^_^A
公式オンラインショップのアテンダント安平さきちゃんです。
楽しい旅行もとうとう終わりです。車を運転中に一度雨が降りましたが、見学時はすべてお天気に恵まれた3日間でした。
走行距離は最終的に650㎞となります。
旅行スタート時の記事にも書きましたが、レンタカーの返却時にも長時間待たされて事前決裁しておいた価値がありませんでした。ウェブでのアンケートに苦情を書いたら、店長から当たり障りのないお詫びメールが届きました。
新千歳空港でお土産を買い、いよいよ帰りの飛行機に搭乗です。ほとんどの乗客が搭乗口を通過し、最後尾に並んだ瞬間に列の動きが止まります。
改札機が2台とも故障したということで待たされます。しばらくすると着席を促され、長時間になる恐れ。空いている搭乗口を使えばいいんじゃないかと思いますがその気配もありません。やがて先に入った家族から取り残された人だけが通過を許されます。残された乗客は30人程ですし、既に保安検査を済ませているのだから、係員が搭乗券をチェックして入場させてもよさそうなものです。実際先程入った人は機械を通っていません。30分近く待たされてようやく隣の搭乗口へと案内されましたが、先に搭乗を済ませた乗客も機内で長く待たされて大変だったことでしょう。全員が乗り込むと2回にわたって目視で人数確認が行われました。そこが人力なら機械にこだわらずに乗せてもいいのでは。
楽しく充実した北海道旅行でしたが、最初と最後のレンタカーの店舗とJALの対応にはうんざりです。
鉄道遺産めぐりを中心とする北海道旅行記、10回に渡りましたがこれにて完結です。