数字(統計)の罠、あるいは嘘 | 詩はどこにあるか

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 正確な引用ができなくて残念なのだが。
 あるところで共産党の小池晃が、いま巷ではびこっている外国人排斥運動に対して、「外国人も税金を払っている。外国人が日本の福祉を食い物にしているという批判はおかしい」というようなことを語っていた。
 それに対して、あるひとが厚生省かどこかの資料を持ち出して、反論していた。外国人が払っている医療保険料よりも、外国人が恩恵を受けている医療控除(保険の適用料)のほうが高い。保険機関から支払われるパーセントが、日本人の場合よりも高い。つまり、外国人が日本の医療を利用するせいで、医療保険は赤字になっている(あるいは日本人の負担が大きくなっている)、というような論理だった。
 厚生省の資料(数字)を出されると、だれでもそれを信じたくなる。小池は間違っている、と言いたくなるかもしれない。しかし、「数字」というのは計算方法でかわるものであることを理解しないといけない。
 国民が支払っている「医療保険料(健康保険料)」というのは収入によって金額が変わる。しかし、医療費そのものは個人の収入とは関係なく、どんな医療を受けたかによってかわる。お金を多く稼ぐ人は多く保険料を払う。収入が少ない人は保険料を少なく払う。けれども、医療費は、受けた医療によって均一に個人が支払うという「システム」を理解しないといけない。「負担」は全員均一ではないということを理解し、そこから数字を見直さないといけない。
 外国人は安い賃金で働かされている。支払う健康保険料も少ない。しかし、病気になったときは同じ金額がかかる。そのとき、支払った保険料に占める保険機関から支払われる金額のパーセントが、日本人が支払っているパーセントが高いとしたら、原因のひとつに外国人の労働者の賃金が安い、ということが考えられる。もし外国人労働者全員が年収1000万円でも、外国人への医療保険金負担の割合が日本人より高いということが起きるのなら、それは問題だろう。しかし、外国人の賃金が低く、そのために外国人がおさめている健康保険料が安く、そのことが保険機関から支払われる金額が支払い保険料に占める割合がたかいとしても、それは外国人の「責任」ではない。外国人の賃金が安い、日本の企業が安い賃金で外国人を雇用しているということに問題があるかもしれないのだ。
 別の例で考えてみよう。
 収入がなく、生活保護を受けているひとがいるとする。そのひとは健康保険料を支払っていない。医療費も支払っていない。そのために国家の医療保険制度が破綻する危険があるとする。そのとき、「外国人が日本の医療を利用するのは許せない」というひとは、同じように、生活保護者は医療を利用するな、生活保護者は日本から出て行け、と言うのか。そういう非人道的なことを言えるのか。
 税とは所得の再配分であり、みんなが互いを支えあう制度である。所得の少ない人は少ない税金、所得の多い人は多くの税金。それをあわせて、所得に関係なく、幸福になれるようにする。その一助にする。その「みんな」のなかに、なぜ、外国人が含まれてはいけないのか。

 どんな「数字」、どんな「客観的事実」にも、それを「事実」にして表現するときには、いろいろな「操作」がおこなわれている。その「数字」、その「事実」は、どういうふうにして生み出されているのか。
 それを自分で理解する必要がある。自分で「計算」してみる、ということが大切だ。他人の「情報」をそのままうのみにしてはいけない。