アレハンドロ・ロハス、フアン・セバスティアン・バスケス監督「入国審査」(2)
映画が終わった瞬間、「えっ、これでおわり?」と思う。その感じをブルーナ・クッシの顔が、そのまま語る。彼女は何も言わない。しかし、「えっ、これでおわり? いったい、いままでしてきたことはなんだったの?」。観客は、みんな、そう思うはずである。
と、私は前回、書いた。
そのつづき。
これをブルーナ・クッシの身になって考えると。あるいは、男の身になって考えると。「私の愛はどうなるの?」ということである。「入国」できるかどうか(入国はできる)というよりも、彼女の身にとっては、そっちの方が大きいだろう。男も、「私たちの愛はどうなるのか」という心配はあるだろうが、それはブルーナ・クッシの気持ちよりも小さいかもしれない。なんといっても、男は「米国入国」を目指して、いわゆる「二股恋愛」をしていたのだから。でも、女は違うからね。
彼女は、たしかに男を愛していただろう。しかし、その愛がゆらいだ。男がほんとうに自分を愛しているのか、それともアメリカに定住することがいちばん大切で、そのために女を利用しようとしたのか、それがわからなくなっている。
このことに「入国審査官」は答えを出さない。ただ女の疑念をかきたてただけである。男の係員はブルーナ・クッシに「両親(家族)とはどれくらいの頻度で会っていた? 週に二回、年間百回か。アメリカに定住すれば、年に一回になる。それでいいのか」(正確なせりふではない)というようなことを言う。これは、とても「残酷」な「愛のテスト」である。
そして「愛のテスト」といえば。
入国してから、アメリカに定住してから、ふたりが向き合わなければならないことなのだ。そして、そのとき皮肉なことに、その「テスト官」がいない。だれかが厳しく質問してくるわけではない。これは、だれかが質問してくることよりももっと厳しい。入国審査のように、第三者が質問をしてくるならば、それに対して「反論」できる。少なくとも、そんなことはあなたの問題じゃない、ほっといてくれ、と言い返すことができる。ところが、これからは「そんなことはあなたの問題じゃない(そんなことを聞かれたくない)」とは言えないのだ。だれにも「こんな失礼なことを聞かれた」と不満をぶちまけることもできないのだ。
全部、自分の問題。
ふたりは「放り出された」のである。「愛のなかへ」というより「孤独のなかへ」。あるいは「疑念のなかへ」。
この映画がおもしろいのは、実際に「入国」を許可するのが、審査した二人ではないことだ。まったく別の人間が、パスポートにスタンプを押して「はい、どうぞ」という。「理由」も何も言わない。まあ、「入国許可」なのだから理由を言う必要はない。当り前なのだが。
これもまた、この映画をおもしろくしている。「禁止」には理由が必要だ。しかし、「許可」には理由がいらない。当たり前のことだが、これが「理不尽」である。とくに、しつこく尋問された二人には「理不尽」である。
少なくとも「失礼な質問をして申し訳なかった」という謝罪ぐらい言ってほしい気持ちになるだろう。「私たちの疑念に、間違いがありました」くらい言ってほしい気持ちになるだろう。そうすれば、審査官は疑問を持ったけれど、最後は私たちの愛を認めてくれたという気持ちになるかもしれない。(まあ、むりだけれど。)
こんな簡単に、いままで顔もあわせたことがないような知らない人間がスタンプを押して、それで入国できるのなら、さっさと押してくれたっていいじゃないか。主人公のふたりは、そう思ったはずである。(私なら、絶対に、「いままでの審査はいったいなんだったんだ。何を疑ったのだ。どうやって疑いがとけたのだ」と聞かなくていいことまで聞いてしまうかもしれない。怒りだすかもしれない。)ふたりは、怒ることもできず、あっけにとられた。
振り返ってみれば。ようするに。
あの係官は、単に「機械的」に質問しただけなのだ。セックスの頻度を聞くのも、生年月日を聞くのと同じなのだ。預金の金額を見て「たったこれだけか」というのも、単なる「流れ作業」のひとつなのである。
だから、あの入国審査をした係官ふたりは、彼らのことはすぐに忘れるだろう。女が何歳だったか、彼女がセックスの回数をどう答えたか、そんなことを覚えているわけがない。しかし、主人公のふたりは、それを聞かれたことを忘れられないだろう。愛を疑われたことを忘れられないだろう。
ここからほんとうの「物語(人生)」がはじまるのである。
どうなるか。それは、観客の「想像力」によって違うだろう。そういう、観客をためすところまで、この映画は連れて行く。それはいいかえれば、そこから映画の登場人物の「物語(人生)」がはじまるのではなく、観客自身の人生がはじまるということである。
こういうところまで観客を引っ張っていく映画は、まれである。傑作、と呼ぶ理由は、そこにある。