池井昌樹『理科系の路地まで』(27)(思潮社、1977年10月14日発行)
「中野区沼袋二丁目三番地」。これは池井が学生時代の下宿先住所である。東京駅で待ち合わせをしたが、上手く出会えない。そのころはスマートフォンはなかった。放送で呼び出してもらったが、出会えない。伝言板にメモを残して、私は、池井の部屋へ行って、帰ってくるのを待っていた。そのうち眠ってしまったら池井が帰って来た。そういう思い出がある。かなり汚い部屋で、「いやなにおいがする」と言ったら、池井は防虫スプレーを部屋中にまき散らし、においを消した。そんな記憶がある。そんな場所が、詩では、こんなふうにかわる。
まるいおそらにうかんでるまち中野区沼袋二丁目三番地近辺
ぼくのイーハトヴ
幼稚の園はペンキづくり
幼稚の園のなかのベンチはふつうのベンチよりもちいさいのです
「イーハトヴ」。池井は宮沢賢治が好きである。
「裏」。
鍛治屋町の裏に
湿ったしゃべるの先が齧ったばかりの
あかつち色した道がある
この「齧る」という動詞が、おもしろい。しかし、その動詞が、何か変わっていくかというと、よくわからないのだが。
潜りぬけようとすると いつも
おもいだしたばかりみたいな音をたて
牛乳屋の自転車のうしろ姿が
淋しい おちこんだような朝焼けのけはひの道の先へ
消えて行く
「シャベルの先」と「道の先」はどこかで通い合って、なにもかも消してしまうのか。何もかもが「消えて行く」ので、こんなことも起きる。
道の真中どころに
大黒屋という古くからのみせがある
覗いても空家のようにひっそりしている
大黒屋主人の顔を知っているような気がするが
思い出せない
何でもそうだが、思い出せることと思い出せないことがある。
部屋中に殺虫スプレーをまいたことを、池井は思い出せるだろうか。