小倉金栄堂の迷子(12) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

 片手のばしベッドボードをつかんだことばが、ほかのことばのことを考えているがわかった。そのとき、片手のばしベッドボードをつかんだことばの首筋に唇をおしあてたことばは、片手のばしベッドボードをつかんだことばが、自分が知っているかもしれないほかのことばのことを考えているときこそ、いちばん魅力的なのだとわかった。片手のばしベッドボードをつかんだことばが、ほかのことばのことを考えているということは、ベッドボードをつかんだことばの首筋に唇を押し当てていることばが捨てられることを意味した。しかし、片手のばしベッドボードをつかんだことばに捨てられ、また乱雑なことばの海に飲み込まれていくかもしれないという恐怖と(あるいは倦怠と)、背中合わせにいることを自覚することは、どういう理由でそうなるのかわからなかったが、首筋に唇を押し当てることばには不思議な愉悦となって体を満たした。ふいに射精がやってきた。もう、これが最後か。こらえることができなかった。もう、これが最後だ。ほかのことばをことを考えていることば、首筋に唇をおしあて、その少しだけ開いた唇のなかで舌を動かすことばの反応を見抜いていて、わざとベッドボードをつかんで、体のなかを動かしたのだった。ことばの海でみかけた、波が裏返るときのようなつややかな黒がよく似合った、あのことばの目。波が裏返るときのようなつややかな黒い目で、この首筋を見つめられたい。そこは、ほかのことばのことを考えていることばの、いちばん感じやすいところだった。