池井昌樹『理科系の路地まで』(24)(思潮社、1977年10月14日発行)
「国語の時間」は「表記」も「ことば」もかわっている。現代ではつかわれないことばが書かれている。この詩が書かれた半世紀前も、めったに見ることはないことばだと思う。
むかし にほんじんは
みんな 傴僂で御座った
みんな くろい蓑を纏って御座った
「傴僂」。「うる」あるいは「うろう」と読む。身をかがめる。腰をかがめて敬いいつくしむさまを指す。池井は、どこからこんな「ことば」を見つけてきたのか。四国には、こういう古いことば(昔のことば)が、まだ「音」として残っていたのかもしれない。「御座る」ということばとおなじよう。
「蓑(みの)」は、私の田舎にも残っていたが、「傴僂」は見当がつかない。小さいころは、聞いたことがあったとしても、気がつかないだろう。
しかし、池井は祖父母のだれかから聞いたのかもしれない。
むかし にほんじんのかほは
かさかさで 真黒の和紙貼りで御座った
ふかく垂れかかるしだれ軒の屋根の下を
うつむいたかほのないくろむぼたちが
線香くさい 国語つぶやき
うごいてた
ときおり
不健康な花のよなおはぐろのわらいがひらいた
「くろむぼ」と「おはぐろ」には傍点が打ってある。
読むと、「ことば」の選択が、私と全く違うということがわかる。それ以外のことは、わからない、と言った方がいい。私とことばが違う。そして、その違いが私には「気持ちが悪い」「気味が悪い」。
たぶん池井が書いている「ことば(もの)」を積み重ねることによってしかたどりつけない「領域」がある。その「領域」が間違っていたとしても(つまり、私たちがいま現実と信じている世界と違っている、異界だとしても)、問題はない。そこが生きるにふさわしくないと気がつけば、最初の「もの(ことば)」に帰ってもう一度積み上げればいい。池井は、この詩を書いていた時代(いまでもだが)、膨大な量の作品を書いている。たぶん、何度でも「最初」にもどって書いているのだ。大事なのは、最初の「ことば」は「もの」であることだ。概念ではない。
「傴僂」について、私は、「身をかがめる。腰をかがめて敬いいつくしむさまを指す」と漢和辞典の受け売りを書いたが、池井には実際に、そういう「姿」をした人間が見えたのである。祖父母が話したときか、両親が話したときかわからないが、「むかし」の「にほんじん」が具体的にはっきり見えたのだと思う。
池井は「概念」を書かない。「もの」だけを書いている。
そこが、いわゆる「現代詩詩人」といちばん違うところかもしれない。
池井が書いているものは、まず「もの」、そしてその「もの」がもっている「音」であることは、「しんみょう先生」に端的に書かれている。
きがくるったのか
死んだのか
きえていった先生は しんみょうという名前だった
ではじまり、こう閉じられる。
しんみょう先生は
ガラス戸をひらいた うしろの縁にしゃがんでいて
みてはならないような かおがわらっていた
いなくなった 先生の名を
いまも漢字に書けない
池井が見るものは、ときどき「みてはならない」ものを含んでいる。そういうとき、「音」はけっして漢字、意味をもったものにはならない。そう考えると、池井がひらがなを愛好する理由もわかるような気がする。意味ではないもの、意味が固定されないもの、しかし、そこにあるものに近づく方法なのである。