池井昌樹『理科系の路地まで』(16)(思潮社、1977年10月14日発行)
「すすの月」。
すずしきもの
どしどしと 満つ
この二行、その「音」を池井は書きたかったのだと思う。このあと何がはじまるのか。まだわからない。わからないまま、まず書きたかった「音」を書く。書くと、つぎのことばが出てくる。
すすやまに
からかさかむる つきの出
かるい麻 日本糸 黒揚羽色の喪服着て
かさつき 黒い 月の出
ここに動いているのは、散文的なことばではない。事実を整理して、その事実の先にまた事実がつながり、論理が生まれるという運動ではない。ことばが行ったり来たりして、「むだ」に動いている。遊んでいる、ともいえる。その遊びが、散文の論理とは逆に、何かを引き出す。先へ先へすすむかわりに、過去(すでに書いてしまったことばの背後にかるもの)を引っ張りだす。前へ進むというよりも過去へ進む。最初のことばが存在する前の、書かれなかったことばに向かって動く。
すずしき 勢力
どしどしと 満つ
かくるるな 祖先
どこやらからわらいごえほのかにきこえ
かくるるな 祖先
よふけに はりの ひだが出来
なまめきただれる 六郎先生初期の色
「かくるるな 祖先」は、ある意味で、「過去を引っ張りだす」という運動を象徴しているといえるだろう。現在を現在の前へ、つまり過去へ向かって掘り下げる。そうすると、そこに「未来」があらわれる。「未来」というのは、詩のことばが進む先のことであって、いわゆる「時間」とは関係がない。ことばにとっては、「前進」しかないのだから。