谷川俊太郎『別れの詩集』(6)(「谷川俊太郎 お別れの会」事務局、2025年05月12日発行)
「詩の書き方」は、「意味」が強い。意味が整ってしまうと、ことばは現実から離れてしまう。ことばだけで完結してしまう。
詩と死は同じように思いがけずぼくらを襲う
シーッ 詩と死は意味の合間の沈黙によって孕まれるもの
「シーッ」という「音」が、ここでは「完結」の罠から逃れて生きている。
「そして」は、どうか。
なんという恩寵
人は
死ねる
そしてという
接続詞だけを
残して
この詩は、この詩集の巻頭に掲げられている「そのあと」を思い起こさせる。
そのあとがある
大切なひとを失ったあと
(略)
そのあとがある
世界に そして
ひとりひとりの心に
「なんという恩寵/人は/死ねる」という詩を書いた谷川は死んだ。「そして」という接続詞のあとに、「詩を残した」と書きつなぐことはできる。
事実や真実は、平凡であれば平凡であるほど、いいと思う。
谷川は死んだ、そして詩が残った。
「よりあいよりあい」の最後の部分。
よろこびにはなんの
りゆうもなくて
あすはちかくてとおい
この詩は、ここで終わっていたらいいのになあ、と思う。最後の一行は、「意味」が強すぎる。特に、谷川が死んだあとでは、そう感じる。最後の一行を、なぜ、谷川は書いたんだろうか。