高野尭『逃散』(七月堂、2020年07月25日発行)
高野尭『逃散』は、何を書いているのだろうか。たとえば「爪」。
茫洋のもなか
折をたたみ
爪をみている
地のいろはむ
瞳のわくでつくられる
あわいかげ、もや、くもり ひかり
書き出しの「音」が不思議だ。「ぼうようのも」まで母音は「お」である。「なか」は「あ」である。その変わり目の「な」は「の」と呼び掛け合っている。この響きが「肉体」の奥を揺さぶる。内にこもったものが、爆発し、発散する(解放される)感じ。
二行目からは「い」が交錯する。
一連目の最終行では「お」「あ」「い」が「ま行」「か行」「ら行」のなかで動く。「や」の音のなかには「い」と「あ」がある。「もや」には「お・い・あ」が融合している。そのため、私の「肉体」には何か非常に迫ってくるものがある。
こういう「音」の感じは、たぶん、人によって受け止め方が違うだろう。いやだなあ、と感じる人もいれば、気持ちがいいなあ、と感じる人もいるだろう。私は「揺さぶられる」と言っておく。
二連目の後半。
なみだが群れる、枯れたか
眼づまりにめいり
不知火にくるう
濁音の重なり「だ」「が」が乱れて「が・か」へと動き、その間に隠れている「れ」の重なりが、「め」の重なりにつながる。これは「え」の呼応ということもできる。そして「しらぬいにくるう」には「い」と「う」の交錯があるのだが、「くるう」と「う」がつづく響きは「ぼうようのも」と同じように、太く、深く、「肉体」を揺さぶる。
「漢字」と「ひらがな」の組み合わせのなかに、見えるものと見えないものを重ねている。
で、何が書いてある? 意味は?
それは、関係がないなあ。
不在の母をにくむ
茫々はきらい
朱の紙をはきすてる
「き」らい、は「き」すてるの「き」の音の強さ。それが、直前の「にくむ」と呼び掛け合う。「にくむ」は「きらい」に意味として重なり、それは「はく」「すてる」にも意味として重なるかもしれない。
あえて、「意味」について語れば。
でも、「意味」は、それぞれの人間が持っているもの(向き合っているもの)だから、私は、ときにはそれを気にかけない。どんなに「意味」を共有したとしても、どうせ他人、と思ってしまうのだ。私は「誤読」が大好きだが、「誤読」とは筆者の「意味」を無視して、私の「意味」を主張することである。きょうは、「意味」を考えずに、そこに、私とは違う人間がいると感じらるだけでとどめておく。(というのも「誤読」のひとつなのだろうけれど。)
不誠実な向き合い方かもしれない。でも、誰に対してもすぐに誠実になれるわけではない。共感できるわけではない。何か感じるけれど、しばらく、何か感じたというだけの状態でおいておく。
高野のこの詩集を読むと、そういう感じにさせられる。
だから、まだ全部読んだわけではない。拾い読みしながら、この「音」は「肉体」に響いてくるなあ、と感じる。「意味」を拒絶して、私は揺れてみる。高野の詩は、書き出しの音が魅力的なことが多い。
しんやをわかつ舌頭の普通は
ただころしあう寂の音叉 (寂寥)
さいなむいとぐちほどどこにもあり
北極にほうりなげ指環のありかもはかない (逃避行)
しらずしらす裂開のうみはだれかの胸座がうずいてうとましい (夢の異端)
私は、那珂太郎の「音」を少し思い出している。その「音」は日本語の「音」なのだけれど、不思議なことに「カタカナ」とも親和する。「耳」で聞く「音」ではなく、「声」に出す「音」なのかもしれない。いや、「声」なのかもしれない。
「傾性」という作品。
はじまりはちらばり
自虐につきすすむ
ちいさな悪魔小僧が
インヴィジブルに
草むらを徘徊していた
野鳩のくぐもる喉音が近づいて
くる秋に咲けないマリーゴールドを
おどろに悔みながらすすり哭く
マリー「ゴールド」と「おどろ」の掛け合いがいいなあ、と思う。
いま引用した部分では「くぐもる」「くる」の響きあいが、いちばん好きなんだけれどね。鳩の「ぐるぐる」という求愛の「声/喉音」が「もの」のように迫ってくる。
「意味」ではなく「音/声」を追い続ければ、高野という詩人の「肉体」にであえるだろうなあ、という予感がある。
でも、なぜ、最近の詩集はこんなに分厚いのか。「小説」よりもページが多そうである。詩集は、私は、80ページくらい、15篇くらいのものがいいなあ、と思っている。
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