かつて何を話したか
いまかつてのその場処と時間帯はどうなつているか
「時間帯」ということばに私は驚いた。「時間」を「帯」と場所のように広がりのあるものとしてとらえている。
「時間」は瞬間、「時間帯」はひろがり。
「時間帯」ならば、そこには当然「変化」が含まれるだろう。変化を前提として「思いだす」というのは、変化は当然であるという意識からだろうか。
それとも逆に「時間帯」のなかで「持続」しつづけたものがある、ということを思い出し、それを復活させることができるか問いかけているのか。
「いま」ということばに、何か、願いのような切実さを感じる。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)