* (何の傍らだからぼくはじつとしていられるのか)
一つの声で
次ぎの用途でことがはこばれている
「一つの声で」と「次ぎの用途で」は同じ意味だろうか。「一つの声」を「次ぎの用途」と言い直したのだろうか。
私は、それにつづく「こと」を「ことば」と読み間違え、しばらく考え込んだ。
おもしろいと思ったのだ。
具体的な「ことがら(用途)」ではなく、ただ「ことば」だけが運ばれていく。そういう世界があってもいい。
動いているのは「ことば」だけ。そして、「ことば」とは「認識」のことである。「認識」が確実にあれば、「ぼくはじつとしていられる」と、私は読みたがっていると、私は気づいた。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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