坂多瑩子「クレヨン」 | 詩はどこにあるか

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坂多瑩子「クレヨン」(「すぷん」3、2020年夏発行)

 坂多瑩子「クレヨン」は、感想が書きにくい作品である。

ぬりえのノオトの顔は茶色にぬりつぶされ
クレヨンがはみでている

耳も口もなく

だからいいんじゃない
好きに書けば

だれかわからないだれかだもの
一つ目にしたってかまやしない
声にもクレヨンぬっちゃえばいい

ぬりつぶされた顔が
あるきながら上衣をぬいでいる
あたしもあるきながら上衣をぬいでいる

あたしの顔もぬりつぶしちゃえ
ぬりつぶしてもぬりつぶしても

あたしだよね
あれは

顔がはみでている

 なぜ感想が書きにくいか。
 「意味」を抜き出し、その「意味」に対して、自分の考えをいうということがむずかしい。
 と書きつなぐと、あ、あ、あ、めんどうくさい。
 「意味」がわからないのだ。「意味」が「論理」になっていないのだ。
 「論理」がないと、肯定するにしろ否定するにしろ、ことばが「論理」として動いていかない。
 そうか。
 「感想」とは「論理」のことだったのか。

 そうならば、逆に「論理」を無視してことばを動かせば、それはそれなりに「感想」になるのではないか。
 えっ、どいうい意味? 書いている私にもよくわからないなあ。

 はじめから、やりなおそう。

 この詩でいちばんおもしろいのは、最終行の「顔がはみでている」である。一連目は「ぬりえのノオトの顔は茶色にぬりつぶされ/クレヨンがはみでている」である。「はみでている」のは「茶色」である。「顔」は隠されている。「顔」ははみでていない。それなのに最後は「顔がはみでている」。
 矛盾だね。
 やっぱり、人間は「矛盾」しているから、おもしろいのだ。
 ほんとうは「顔」ははみでていない。はみ出ているのは「クレヨン」だが、クレヨンは自分でははみ出ることができない。塗りつぶす人間がクレヨンをはみださせるのだ。顔の輪郭を無視してしまう。顔の造作も無視してしまう茶色一色にして、その茶色をはみださせている。茶色にぬりつぶしてやりたい、という感情がはみ出ているのだ。
 そう。
 「顔」がはみでているのではなく、「感情」がはみ出ている。

 いっぽう。

 顔と感情の組み合わせで思うのは、感情が顔に出る、という言い方。感情は顔に出るのは、隠しておきたい感情が顔を突き破って出てしまう。感情を「あたし」と言い換えれば、「あたし」がはみ出ている。「あたしの感情」がはみ出ている。
 顔からクレヨンがはみだすという「乱暴」さのなかに。
 私たちはなんでも「修正」することを学ぶ。
 たとえば、顔の絵。目の位置、鼻の位置、口の位置、耳の位置。そういうものが「写真」(客観的写実?)と違っていると、デッサンが狂っていると注意される。正しい位置にととのえることを教えられ、教えられた通りにすると、「これでいい」と評価される。
 でも、修正されたくないねえ。修正するというのは、ある意味では他人が求めている形に自分をととのえていくこと。それは、自分が自分でなくなること。目の位置、鼻の位置をととのえるのではなく、自分の何かを修正すること。
 感情は、ときには修正できないね。
 というよりも、修正したくないね。
 で、こんちくしょう。こんな奴の、顔を塗りつぶしちゃえ。その気持ちが暴れ出すと、茶色がどこまでもはみだしていく。
 それは「客観的」には単なる茶色という色。クレヨンの一色。
 でも、「主観的」には「あたしの感情」。
 「感情」は「見えない」よね。でも「見えてしまう」よね。
 そういう「矛盾」が、ここにはある。

 また、「矛盾」が出てきた。
 たぶん、最初に書いた「矛盾」に、私のことばは追いついたのだ。
 だから、ここで感想を終わりにする。

 「声にもクレヨンぬっちゃえばいい」についても書きたいが、書き残しておく。
 私の大好きなセザンヌは、キャンバスの白が残っている絵につてい「ルーブルで色が見つかったら塗る」というようなことを言っている。
 私は、その「塗られていない白」が残った絵が、とても好きなのだ。塗り残しが、とても気に入っているのだ。




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