ただ一羽の風見鶏だけである
「ただ」と「だけ」によって「一羽」が強調されている。
でも、ほんとうだろうか。
強調されているのは「風見鶏」かもしれない。
「ただ一羽の」「だけ」は「重複」というものだろう。
このとき「風見鶏」に「意味」はない。「意味」を拒絶するために「ただ一羽の」「だけ」がある。つまり、「意味」は「ただ一羽の」「だけ」にまかせてしまって、無意味としての、詩としての、世界を拒絶するものとしての「風見鶏」が存在している。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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