嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(92) | 詩はどこにあるか

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* (昨日からぼくは声が出ない)

大きな沼のほとりを歩いてきて声を失つたらしい
遠くに雷鳴がしていた

 「昨日」という時間が、「大きな沼」「遠くに雷鳴」ということばで空間化される。何か大きな「空白」がある。その空白に声がのみこまれていく。どこにも届かない。
 「声が出ない」「声を失う」。しかし、「ことば」はある。
 ただし、その「ことば」も誰にも届かない。
 むしろ逆かもしれない。「ことば」が誰にも届かない。その孤独を「声を失つた」と書いているのだろう。




*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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