長嶋南子『海馬に乗って』(2)(空飛ぶキリン社、09月01日発行)
きのう、「この詩集は大嫌い」と書いたのだけれど。
でも、読み返してしまう。
パチンコ屋にそうじに行く
朝七時から九時まで二時間
他人の汚した便器をこすり
他人のよごした指紋をふき取り
どこもかしこも舐めても平気なようにと
店長さんはいうのです
店長さん舐めるの好きですか
汚れたものを舐めると気持ちいいですか (嫌われながら)
この詩の感想はすでに書いたと思う。だから多くを繰り返さないけれど「店長さん舐めるの好きですか」という反撃に毒があって、こういうのは大好きだなあ。頭の中でちょっと思ったり、陰で同僚と悪口ついでに言ったりすることばだが、それを書きことばにしてしまう。消えないものとして残る。その瞬間に、輝きだすものがある。たぶん、仲間と陰口を言っているときは、わはははと大笑いしておしまい。でも、書くとねえ。気持ち(?)がどこかに定着して、加速する。「汚れたものを舐めると気持ちいいですか」。ね、これって、意味はわかるけれど、「論理的」には変でしょ? 店長さんは、汚れたものを舐めると気持ち悪いから、舐めても気持ち悪くならないくらいに(平気でいられるように)、きれいに磨いてね、と言ったのだ。汚れたものを、舐めるように磨いたのは長嶋である。こんなことをしても(汚れたものを磨いても)、ちっとも気持ち良くならない。というのが「論理的」展開なのだれど、この「論理」を飛躍して、別のことを言っているのだ。「舐めるの好きですか」は便器を舐めるのが好きですか、ではないのだ。そして、そこにこそ、批判(批評)があり、それこそが詩なのだ。
「おばさん詩」とは「批評詩」である。そして、それは「自己解放」なのだ。そして、批評とは、たぶん生活を直接豊かにするようなものではない。批評しても生活が変わるということは少ない。批評が生活を変えていくまでには、長い時間がかかる。でも、それをしないと、自己が抑圧され続ける。さらに、抑圧している人間は、他人を抑圧していることに気づかない。そういうものと戦うために批評は必要なのだ。
この批評が共有されるまでには、果てしない時間が必要だ。「店長さん舐めるの好きですか/汚れたものを舐めると気持ちいいですか」を「おじさん」が言えるようにならないと、社会は変わらない。「おばさん」の代わりに言うのではなく、「おじさん」が自分の声として発しないとダメなのだ。
まあ、そういう「おじさん」を長嶋おばさんは叱りつづけている。私は叱られつづけている。叱られる、というのは、ちょっと気持ちいいもんですよ。ハッ、とするからね。
あ、こんなことを書くつもりではなかったのだが。
長嶋は、しかし、一方的に「叱る」(批判する)のではない。どう言えばいいのか。なにか他人さえも「自分とつながっている」人間として見てしまう。自分と他人は、まったく違う人間なのだけれど、「つながっている」ものがある。そして、それを「つながっている」ものを中心にして「論理」を動かすから、ねじれたような、ねじれないような、「あ、それ、わかる」という感じで動くものがある。
他人が道で倒れている。腹を抱えている。そういうひとを見ると、「あ、このひとは腹が痛いんだ」と「わかる」。これは、男でもわかることなのだが、そこには「矛盾/断絶」がない。「おばさん/女性」の感覚は、どうも、そういう感覚をさらに超えているというか、さらに広い。子供を産む、というのは、自分の「肉体」を分けることである。子どもは他人、でもつながっていたことがある。いや、ひとつだったことがある。その「ひとつ」がいまは「ふたつ」。「ふたつ」は「ひとつ」というような感覚があるのだと思う。こういう考え方は、まあ、一種の「ジェンダー論」につながるから、差別的なのかもしれないが、私はこの「ふたつ」と「ひとつ」の関係をとてもおもしろいと思う。
パチンコ屋の店長と長嶋も、「ふたつ」「ひとつ」の関係にあるのだ。「店長さん舐めるの好きですか/汚れたものを舐めると気持ちいいですか」はもちろんセックスを連想させるためのことばであり、セックスというのは「ふたり」と「ひとり」の、区別がなくなる行為である。はっきりことばにしないが、こういう「区別のなさ」から、長嶋は批評を始める。
すべてに区別はない。そこに他人(子ども)がいるとしたら、それは長嶋が「生み出した」存在なのだ。だからこそ、批判し、同時に受け入れる。
この関係が、複雑に、というか、微妙に交錯するのが詩集のタイトルになっている「海馬に乗って」ということばを含む「わたしは忙しい」である。
どうも「息子」が事故を起こしたらしい。車に乗っていた「チビ犬」は死んだが、息子は生きている。ただし、後遺症が残っている。
その詩の最後の部分。
「バカみたい」が舞い降りてくる
保険の書類がジャンジャンくる
入院日数と休業補償と
自己で壊した路肩のポールの代金請求書と
診断書 自己証明書
息子が死んでも文句はいいません という誓約書
涙がひいていく
電話をかけ続け 病院にいって警察にいって
事故現場の実況検分に立ち会って
同乗していたチビ犬の冥福をいのり
病室で寝ている息子の顔をのぞく
「カワイソウ」が舞い降りてくる
「バカみたい」が追いかけてきて
涙が出たり引っこんだり
わたしはいそがしい
「バカみたい」は「批評」である。批評とは、結局、バカみたいのひとことにつきる。もっといい「やりかた」(生き方)があるはずなのに、奇妙に「規則/法律(?)」を組み合わせて、ややこしくしている。その他人がつくったものに拘束される。拘束を感じた瞬間「バカみたい」ということばになる。
病室で眠る息子には「バカみたい」と「カワイソウ」が同居している。事故を起こさなければ「バカみたい」は存在しなかったし、また「カワイソウ」もなくてすんだのだが、起きてしまったことは、「バカみたい」と「カワイソウ」というかけはなれたものを、「ひとつ」と思って受け止めるしかないのである。
そして。
この「ふたつ」と「ひとつ」、「ひとつ」と「ふたつ」をつなぐことばとして、長嶋は「話しことば」をつかっている。「書きことば」ではない。ことばのリズムが「話しことば」のままなのである。
最後に引用した部分の、「書類(書きことばでつくられたもの)」を列記した部分の、たとえば、
息子が死んでも文句はいいません という誓約書
ほら、ここだけ、はっきり「書きことば」に書き直されている。手術誓約書(?)には「死んでも文句はいいません」ということばは書いてない。もっと婉曲的なことばで書かれているが、口語で言ってしまえば「息子が死んでも文句はいいません」なのである。
どんなことばも「口語」にして、声に出してから長嶋はつかっている。声に出すには、自分の肉体をくぐらせなければならない。子どもを産むように、自分の「遺伝子」を組み込んで、そのあとで生み出す。長嶋は、ことばも、そうやって生み出している。
長嶋のことばには、長嶋の「遺伝子」のようなものが組み込まれている。「おばさんことば」しか長嶋は書かない。
こういうところは、やっぱり好きだなあ。大好きだなあ。
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