アルメ時代34 秋の注釈 | 詩はどこにあるか

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アルメ時代34 秋の注釈  谷内修三



池を渡ってくる風が
窓の手前で曲がる
水に映った空から光が引いていく
時雨が水面を閉じるまで
しばらく均一な間が残される
「空虚はたしかに存在する
透明なために見えないのか
不透明なために見えないのか」
一日中さがしていたことばが
激しい音とになって
金属的な匂いのなかを去っていく
(思春期の肉体の音階に似ている)
しかし、
注釈は退けなければならない



(アルメ254 、1987年12月25日)