柳本々々の短歌 | 詩はどこにあるか

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詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。

加藤治郎がフェイスブックに、投稿していた。

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毎日歌壇:加藤治郎・選 - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20200629/ddm/014/040/036000c‬
特選
◎あがってきてはだかで冷蔵庫あけ、わたしはすごい風のベランダ 
東京 柳本々々
【評】短い時間が流れている。バスルームを出てベランダにいる。「すごい」という気分に根拠はないのだろう。
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私は、こんなことを考えた。

柳本々々の短歌ははじめて読んだが、詩よりも読みやすい。
一首だけで判断してはいけないかもしれないが。

読点の位置が絶妙。
「すごい」の根拠は、この読点の位置にあると思う。
ふいの「一呼吸」。肉体の声。
意味的には、「わたしはすごい」のあとに句点を感じる。
つまり

あがってきてはだかで冷蔵庫あけ、わたしはすごい。風のベランダ

「肉体」から「精神」への切断と接続(飛躍?)の中心に「すごい」がある。
でも、その中心を絶妙に隠す。
啄木なら、

あがってきてはだかで冷蔵庫あけ、
わたしはすごい。
風のベランダ

という3行の短歌にするかもしれない。
でも、そうすると、わかりやすすぎる。
「わざと」わかりにくくする。
そこが「現代詩」なんだろうなあ。