蝸牛は真実をみんなしゃべるだろう
少しひかっている手足をだして
とても不思議だ。
「少しひかっている手足をだして」ということばが、「真実」に「怒り」がこもっているように感じさせる。「怒り」のために、全身が光っている。ことばが、同じように光っている。
こう感じるのは、私がいまの状況に対して怒っているからかもしれない。
隠されている「真実」がある。それを告発することばは、必ず光り輝く。そして、それは多くの人の怒りを吸収し、反射し、爆発して、光そのものになる。
「少しひかっている手足をだして」はほんとうは、それにつづく行を修飾することばなのだけれど、その行を切り離すと「蝸牛は真実をみんなしゃべるだろう」を修飾することになる。
こういう「誤読」をするのが、私は好きだ。「意味」ではなく、ことばそのものが勝手に動くときが。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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