腕は動いていても自分から離れられない
背なかは毎日が背なかである
「腕」も毎日が腕だろう。また、「背なか」も自分から離れられないという点は同じだろう。
そうすると、「背なか」の意味は「動かない」ということ力点があるのか。
しかし、この動かないは微妙だ。腕のようにはっきりと目に見える動きはなくても、やはり動いてはいる。
無意識のようなものだ。背中は見えないから、無意識になってしまうのかもしれない。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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