* (死をたそがれの唄だといいながら)
ぼくはだれを訪ねようとしているのだろう
いままで冷たく固い扉に何度か手を触れた
「冷たく固い扉」とは「遺体」の比喩か。遺体に対面したとき、どこに触れるだろうか。顔か、手か。「冷たく固い」は、逆に、嵯峨が「温かく、柔らかい」状態の肉体を知っているからこそ、生まれてくることばだ。
そのとき、「扉」は開かれていた。いまは閉ざされている。このとき、自分で自分に問う「だれ」はもちろん名前ではない。そのひとの「温かさ」「柔らかさ」である。生きているとき、ひとにはぞれぞれ「固有」の「温かさ」「柔らかさ」がある。それをどんなことばで言い表わすことができるか。それを嵯峨は自分に問いかけている。
もし固有のことばで言い表わすことができたなら、その人は永遠に嵯峨といっしょに生きる。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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