嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(44) | 詩はどこにあるか

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* (時が大ゆれにゆれているときがある)

霙がふっている街はずれの
一軒の家は何年も空家になっている

 そこでは「時」がとまっている。揺れていない。
 嵯峨の「時」が激しく揺れているから、止まっているものが見えるのだろう。「空家」は死を象徴しているかもしれない。世界に存在する客観的な「時」ではなく、個人の「固有の時」が動かなくなったときが死であるなら。
 いまの時代なら、嵯峨は「街はずれ」ではなく、街の真ん中に「空家」を置いたかもしれない。「街はずれ」では、死の寂しさが先行してしまう。衝撃がない。抒情になってしまう。抒情が嵯峨の世界ではあるけれど。





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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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