2020年04月28日(火曜日) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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2020年04月28日(火曜日)

鴎外『伊沢蘭軒』を読む。読むというより、眺める。漢文が読めないので、引用してある詩や手紙、日記(?)がわからない。
 しかし、引き込まれる。
 鴎外は原文に句読点を付け加えている。つまり、句読点の存在によって、鴎外が単に資料をコピーしているのではなく、きちんと読んで引用しているということがわかる。句読点に、鴎外の誠実さ(正直)があらわれている。
 人を引き込む力とは、正直なのだとあらためて実感する。

 なぜ鴎外は、伊沢蘭軒を書こうとしたのか。伊沢への批評が、そのまま鴎外の仕事をあらわしている。こう書いている。

 新邦の興隆を謀(はか)ののも人間の一事業である。古典の保存を謀るのも亦人間の一事業である。

 「古典」ということばが強く、重い。古典には天にのびる幹と枝、葉がある一方、その巨体を支える根のひろがりがある。鴎外が古典と呼んでいるのは、根のひろがりの方である。根が死ななければ、木は生きる。蘇る。