嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(38) | 詩はどこにあるか

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* (水辺へぼくは石段を下りていった)

言葉は夕方までに生き返らずに
雨は大きな空白を濡らしながら川口までひろがっていった

 「言葉」と「雨」は不思議な関係にある。異次元的につながる「比喩」になっている。「言葉」は「空白」とつながっている。
 つまり、

言葉は大きな空白を濡らしながら川口までひろがっていった

 と書き直せば、これはこれで詩になる。
 このときの「言葉」は、もちろん「生き返らない言葉」である。死んだというよりも、「不能の言葉」といえばいいのか。
 「不能の言葉」の前にあるのは、「ひろがり」である。それは「空白」よりも広い。



*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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