こころ
心はどこにいても自由だ
これは、多くのひとが言うことである。こころは何にも縛られない。いつでも自由だ。嵯峨も、そう書き始めるのだが。
それでも心はどうしてぼくに止まるのか
そのしずかな場所はどこだ
こころはどうしてぼくのところにやってくるのか。自由なのに、どこかへ行ってしまわないのか。「止まるのか」はそういう問いかけだろう。では、そのあとの「しずかな場所」とは何だろうか。
嵯峨の(ぼくの)なかの「場所」を指しているのか。「こころ」自身の「場所」を指しているのか。「しずかな」は「状態」をあらわしている。嵯峨は「しずかな」という状態へ「ぼく」と「こころ」を統一したいと願っているのか。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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