水に消える
ぼくの中に踏み込んでくるぼくを
ぼく自身が阻んでいる
ふたりの「ぼく」。ふたり以上いるかもしれない。少なくとも観察するぼく、というものもいるだろう。
「水に消える」のはどちらか。観察するぼく、あるいは、ことばを書いているぼくは消えないと言えるか。
「ぼく自身」ということばが出てくる。「自身」はいわば強調だが、強調とはそもそも何だろうか。「自身」とはどこに存在するものだろうか。
こういうことは、考えると味気ない。つまらない。たぶん、だれもが一度は考える「考え方の定型」というものがあって、それがどうしてもあらわれてきてしまうからだろう。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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