老残
失つたものが心では無限に大きくなる
この一行は、二通りの読み方ができる。
一つは「失つたもの」が「心のなかでは」無限に大きくなる。「失つたもの」とは、たとえば「女の名」であり、「一つの善意」である。その結果「自分の姿はますます小さくなつて遠ざかる」ということが起きる。自分が小さく感じられる。
たぶん、そう読むのが普通なのだと思うが。
私は別の読み方をしたい。
「失つたものが心では」とつづけて読む。「心を失ったので」、そのために、と読む。そのとき何が大きくなるのか。すべてのものが大きくなる。「女の名」とか「一つの善意」ではなく、私のまわりにあるものすべてが無限に大きくなる。それは圧迫するというよりも、むしろ稀薄になる。「もの」も大きくなるが、「場(世界/宇宙)」そのものが大きくなる。「もの」がどれだけ大きくなろうが、「充実」はやってこない。
つまり、虚無になる。こころを失い、虚無の大きさを知る、と読みたい。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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