彼が吐きすてるようにいつた言葉が
わたしの全身を水浸しにした
「わたし」は女。「彼」は嵯峨を指しているだろう。
「わたし」が「彼」に、そう訴えたのではなく、「わたし(彼女)」の姿を見て、そこから「水浸し」という比喩が生まれたのだろう。
ここには書かれていないが「ぼく」が、彼女が「水浸し」であるかのように感じたのは、「ぼく」がことばを「吐きすてるように」(直喩)言ったからだろう。「意味」ではなく、「肉体(声の肉体)」を嵯峨自身で感じ、そこから比喩が比喩を引き出している。あるいは、「水浸し」と感じから、「吐きすてる」ということばが引き出されたとも言える。
「肉体」というのは、いつでも「意味」に先行し、それは常に「肉体」のなかで深まっていく。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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