嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(46) | 詩はどこにあるか

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* (ぼくは行つてしまつた)

時の果てに
そこは天地もなく 方角もない

 「たどりついた」ではなく「行つてしまつた」。
 ここから「ぼく」は「ぼく」を客観的にみていることがわかる。しかし、この客観は、かなり無理がある。「客観的にみる」という「主観」にすぎない。
 「そこは天地もなく 方角もない」というのもまた「主観」である。
 しかし、詩は、「主観」であって「客観」である必要はないから、こういう表現が成り立ってしまうのだ。








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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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