嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(42) | 詩はどこにあるか

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白い馬

ぼくはいつも日蔭でひとを愛する
だまつていて
自分をあざ笑う言葉をいたわつて

 この詩にも「言葉」がでてくる。「自分をあざ笑う」を、別のことばでいいなおすと何だろうか。
 「それからどうなのよ」と問われて、

わたしには分からない

 という「答え」がある。この「分からない」が「自分をあざわらう」かもしれないと思う。「あざ笑う」は否定だが、「分からない」のなかにも否定がある。そして、その否定のなかには、肯定すべきものがある。それを「いたわる」のだ。
 否定する力があることを肯定する。




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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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