嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(41) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

詩の感想・批評や映画の感想、美術の感想、政治問題などを思いつくままに書いています。


沈める寺

ぞんざいな言葉のくりかえしと
すぎさる月日が
ぼくの骨を削つている

 「ぞんざいな言葉」と「すぎさる月日」はおなじものである。
 そう踏まえた上で思うのだが、この「ぞんざい」を私自身のことばで言い直せば何になるだろうか。
 「虚偽」になるだろうか。それも考えた上での虚偽、つまり「虚構」のためのことばではなく、「真実ではない」と知っていながら、そこにあることばに頼ってしまうときの、その「虚偽」。「うすっぺらな嘘」。
 しかし、それはほんとうは「すぎさる」ということはない。「肉体」のなかにたまり続ける。あるいは「沈み」つづける。それが「骨を削る」ということ。






*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)