嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(38) | 詩はどこにあるか

詩はどこにあるか

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* (死は原因でもなく結果でもない)

人間存在のつなぎめである
それをほどくために人間史は永遠に書きつづけられる

 感想を書こうとして、瞬間的に、手がとまる。なぜ、「否定」から考え始めるのか。
 「誕生は原因でも結果でもない」と書き始めることもできる。ただし、その場合は「ほどく」ではなく「さらにひろげる」ということになるだろうか。
 そう考えると、この詩のポイントは「ほどく」である。
 何かがもつれて、からまり、固くなる。そういう状態を「死」と呼ぶことができる。動けなくなった何か。それを「ほどく」ために何をするべきなのか、それを知るには「もつれ、からまり、固くなる」という「歴史」をみつめることが必要だ。どうやって生きてきたか。つまり、どうやって「自分をひろげてきたか」。
 そう考えると「誕生は原因でも結果でもない」に戻る。私は「結果」が用意されていない「誕生」から考える方を好む。どこへ行くかわからないから、楽しい。「結果」は考えてはいけない。「いま」が「結果」だし、「いま」が「誕生(出発点)」だ。





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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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